「可哀相」だった日銀
この度、日銀は可哀相だった。
10月5日に開いた政策決定会合で、日本銀行は、一般的な論者が要求しそうなほとんどの提案を並べた新たな金融政策パッケージを提示した。同行としては、かなり思い切った決定だったことだろう。白川総裁は、一連の政策を「包括緩和」と名付けた。リーマンショック後のFRBの政策が「信用緩和」と呼ばれたことに対する対抗意識もあったのではないか。
しかし、金融緩和のフロントランナーであるとの自負も空しく、米国の一段の金融緩和を読んだ外国為替市場は、ごく短時間、且つ小幅の円安を見せただけで、ドル・円レートは円高のレベルを更新するコースに入って行った。週末のG7会合で、日本の介入が今後に認められることはないとの読みの下、安心してドルを売れる地合になり、週末には米国の雇用統計悪化が追い打ちをかけた。
日銀の渾身の力作は空を切った。長期国債の利回りが少々下がったことが、せめてもの慰めだろうか。
円レートにあっても、さらには日本の株価に対する影響にあっても、今日、米国の雇用統計は、日本の政府あるいは日銀の政策発表や、首相の交代さえも凌駕する大材料になっている。為替レートは、歴史的に見て、米国政府の意志に逆らって形成されたことがないし、世界中の投資家が米国の金融政策に注目している。まして、日本株においてさえ、日本の投資家はプライス・リーダーシップを持っていない。アメリカで材料が出ると、日本の市場であっても、日本政府の力ではどうにもならないのが現状である。
通貨安競争には「作法」がある
週末に行われたG7の会合は、予想通り具体的な合意はなしに終わった。
一部からは、野田財務大臣に対して、円高で苦しむ日本経済の現状を他国に理解して貰って、今後の市場介入を含む円高是正措置に対して理解を求めるべきだ、という注文があったようだが、これは、そもそも無理な注文だった。