「ちゃん」「くん」付けや呼びつけは禁止。徹底して「フラットな文化」にソースネクストがこだわっている理由とは? 同社の松田憲幸社長の著書『売れる力 日本一PCソフトを売り、大ヒット通訳機ポケトークを生んだ発想法』よりご紹介します。
ソースネクストを創業したとき、組織のルールとしてはっきり意識していたのは、自分が会社員時代に経験したイヤなことはできる限りなくしたい、ということでした。自分の理想の会社は、自分で作るしかない、と考えたのです。
私が新卒から働いた日本IBMは、とても良い会社でした。一方で、早く出世したいと思う若者にとっては、良い会社と言い難い面もありました。なぜなら、当時どんなに優秀でも、20代では主任にすらなれなかったからです。もちろん、「20代で課長になった」という社員は一切出てきません。
だから起業したとき、究極的な実力主義を敷いて、20代の役員も出る会社にしたい、と思いました。上場会社で20代の役員を作ることを目標にしたのです。そして、創業10年目でそれが実現しました。当時、社員の平均年齢は30歳を超えていましたが、現在専務の小嶋は28歳で執行役員になり、29歳のときに当社が上場したので、目標どおり、29歳で上場会社の役員が誕生しました。
徹底した実力主義の会社にするために進めたのが、自由でフラットなカルチャー作りです。そのために、まずは「さん」づけ文化を徹底しました。「さん」づけ文化は多くの会社が取り入れていますが、それは上司に対して役職で呼ばずに「さん」づけする、というものがほとんどです。
そうではなくて、上司が部下を呼ぶときに「さん」づけすることを徹底させたのです。呼び捨てに絶対にしない。「くん」づけも「ちゃん」づけも不可です。
この呼び捨て文化や「くん」づけ文化こそ、下剋上を起こしづらくする日本の組織の悪癖だと思ったからです。呼び捨てにしたり、「くん・ちゃん」づけすることで上下関係を固定させ、上司には一生逆らえないかのような空気を作る。日本は、こうやって組織の秩序を保ってきたのではないか、と想像します。
もう一つ、呼び捨て文化をやめたかった理由は、言葉が汚くなるからです。
呼び捨てにすると、それに続く言葉も「松田、なにやってんだ」という命令的で威圧的な口調になると思いませんか。怒鳴っているように聞こえる。これがまた、社内を萎縮させます。これを「さん」に変えると、「松田さん、なにやってんだ」とはなりません。
実際、日本IBM在籍時に担当した金融業種のクライアントは銀行と証券会社で、ガチガチの呼び捨て文化でした。これでは、年齢の上下逆転するような抜擢は絶対にないだろう、と決してひっくり返らない関係の怖さを感じました。
そんな関係性の中で、抜擢人事を行うことは極めて難しいでしょう。調和が乱れるからです。当社の新卒社員は、このソースネクストの文化を当たり前のように受け入れてくれますが、中途入社の社員は全員そうとも限りません。そういう人には教育によって、新しいカルチャーをインストールしてもらう必要があります。
社内がフラットになると、「Aという社員を引き上げると、Bという社員は居心地悪くなって辞めてしまうかもしれない」などと余計なことを考える必要がなくなります。そういう年功序列に気を使い始めると、本当の実力主義は実践できないのです。
平均年齢34歳の会社で20代の役員が出るということは、自分よりはるかに若手が上司になる可能性があるわけです。もし、呼び捨て文化だったら、そういう実力主義の人事を実行できなかったと思います。
ソースネクストは、全員が「さん」づけで呼ぶので、普通にミーティングに出ていても、誰の役職が一番高いのかわからないぐらいです。実際、年齢も学歴も、お互いにほとんど知らない超フラットな組織です。だから、若い社員や女性ものびのび働ける。自由な意見も出る。できる社員を引き上げて、昇格させやすいのです。
マーケットプライスで女性の給与を決めない
会社員にとって、最も腹が立つのは「なんで、あんな人が部長をやっているんだ」というような、ふさわしくない人が上司にいる状態かもしれません。そんな納得しがたい昇格・昇進も、ソースネクストではなるべく起きないようにしています。成果の高い人が昇進できないことと同様に、成果が低い人が昇進するほどおかしなことはないからです。
評価と報酬も連動していて、等級と評価で報酬は決まります。等級が上がれば、基本給も上がります。インセンティブ・ボーナスは経常利益から総量を決めて、等級と評価に応じて配分しています。
そして、特にこだわっているのは、女性の報酬決定において、おかしなマーケットプライスに惑わされないことです。
日本では、女性の報酬を世間の相場に応じて決めてしまう会社が少なくないのが現状だと思います。Aという男性とBという女性が社内でまったく同じ働きをした場合に、Aという男性が年収1000万円を受け取っても、Bという女性は1000万円もらえないことが多い。それはBという女性が他社に行ったときに1000万円はもらえないだろう、という理由です。当社では同じ働きをした場合は、男女関係なくまったく同額の報酬です。30代前半で年収1800万円の女性も誕生しました。
社内で同じ評価なら、年齢、性別、国籍にかかわらず、同じ報酬でなければならない──この方針には、徹底的にこだわっています。だから、ソースネクストの女性社員の報酬は、相場より高いと思います。女性の定着率が高く、女性のマネージャー率は36%に、そして執行役員以上の比率も43%に上っています。
松田憲幸(まつだ・のりゆき)
ソースネクスト株式会社代表取締役社長
大阪府立大学工学部数理工学科卒。日本アイ・ビー・エム株式会社のシステムエンジニアを経て、1996年に株式会社ソース(現ソースネクスト株式会社)を創業。2006年12月に東証マザーズ、2008年6月に東証第一部に上場。ソースネクストは約50カ国で働きがいに関する調査を行うGreat Place to Workによる2019年版日本における「働きがいのある会社」ランキング(従業員100~999人)で12位と5年連続でベストカンパニーに選出されたほか、東洋経済オンライン「初任給が高い会社ランキング」(2017年)で第7位にランクイン。2012年より米国シリコンバレー在住、日本と行き来し経営にあたる。兵庫県出身。新経済連盟理事。
【関連書籍のご案内】
『売れる力 日本一PCソフトを売り、大ヒット通訳機ポケトークを生んだ発想法』
著者:松田憲幸(ソースネクスト株式会社社長)
2020年1月9日(木)夜10時~テレビ東京系列「カンブリア宮殿」出演!
10年で時価総額50倍に!
「特打」「驚速」などパソコンソフト累計5000万本、
初の翻訳機「ポケトーク」でシェア95%を実現した
【常識破りの、全ノウハウ】とは?
ソースネクストの創業は23年前。システムエンジニアだった松田社長は、それまで経験のない店頭販売や価格交渉を実戦で鍛えつつ、お客さまの「面白さ」「煩わしさ」をヒントにユニークな製品をつぎつぎ発売してきました。本書では、具体的な製品を挙げながら、それら製品や売り方の着想プロセスを語りつくします!
◆買ってしまう、欲しくなる「売り」の作り方
◆「特打」「驚速」「ポケトーク」などネーミングの秘密
◆明石家さんまさんCM出演の裏側
◆カッコ良すぎると売れない不思議
◆みずから店頭に立つと見えてくる売れる真実
◆ウイルス対策ソフトの更新料をゼロにできる理由
◆儲けている会社ほどお客様の満足度が高いという事実
◆実力がある人が出世できないと、みんなが困る風土
<反響続々!>
・紀伊國屋書店新宿本店 「社会」ジャンル第1位!(2019年12月16~12月22日)
・三省堂書店有楽町店 ビジネス書ランキング第1位!(2019年12月30日~1月5日)
・丸善日本橋店 ビジネス書ランキング第3位!(2019年12月26日~12月31日)
《著者より》
本書は、さまざまな紆余曲折の中で、私たちの生き残りにつながったユニークな製品や仕組みを、どのように考えて作りあげてきたのか、振り返ってまとめました。これからの厳しいビジネス競争をみなさまが生き抜く何かのヒントになれば、と願っています。ただし、これがヒントといえるか心もとない……というのも本音で、私たちが少し変わった会社である(とよく言われる)ことも事実です。こだわることと、とらわれないことのバランスが一風変わっていた、とでもいいましょうか。
たとえば、社長である私自身が、量販店の売り場に立って販売するのは、当社では当たり前でした。むしろ私は、喜んで店頭に立っていたのです。2019年も店頭に立って販売してきました。量販店の法被(はっぴ)を着て立ち、ポケトークの売れ行きについて、お客さまの生の声をうかがうためです。そんな「売れる」現場を大事にしてきたのと同時に、私が強烈にこだわってきたのは、パッケージやネーミングでした。同業他社は開発に鎬(しのぎ)を削っていましたが、お客さまから選んでもらうポイントはまず中身よりも「見た目」にある、と考えたからです。このため、ネーミングやパッケージデザインを担うデザイナーを、創業当初に役員待遇で迎えました。
また、ソフトの世界では、家電量販店等の小売店に製品を置いてもらうときは卸を通すのが常識ですが、私たちはもう15年も前に、卸を離れて小売店との直接取引に踏み出しました。卸を通すと、売り場を自分たちで思うように演出できないうえ、実売データも入ってこないからです。こんなことをした会社は後にも先にも、なんと今この時代ですら、パソコンソフト業界では私たちしかいません。
価格にもこだわりました。パソコンソフトは数千~1万円するのが当たり前だった時代に、それではユーザーは増えないし、販売ルートも限られる、と考えて、価格を一気に下げました。1980円に統一してしまったときには、業界から罵詈雑言(ばりぞうごん)も浴びせられました。それでもひるまず、このとき一気に100タイトルを世に送り出し、多くのお客さまからの支持を得て、同時に競合を完全に振り切ったのでした。
このほか、会社の倒産の危機をからくも脱した直後の2012年からは、社長である私がアメリカのシリコンバレーに移住しています。日本に本社があるのに、社長みずからがアメリカに移住してしまったことで、これまた驚かれました。しかし、この選択は大正解でした。
現地でのすばやい交渉が奏功し、「Dropbox」や「Evernote」などのいわゆるクラウド製品の日本語版販売の権利を取得でき、それも日本式に量販店でパッケージとして売り出したことで大ヒットしました。クラウド製品をダウンロードするのではなく、量販店で手に取りながら、アフターサービスも保証されるパッケージとして売ったことが、業界の、そしてお客さまの度肝を抜くことになったのでした。
こうした取り組みでは、それぞれに学びがありました。そして今、これらすべての経験や仕組みが揃ったおかげで、ソフトウェア会社だった我々が、冒頭紹介したとおり、ハードウェアであるポケトークを大々的に展開することもできています。長年かけて、一つひとつジグソーパズルのピースをはめてきて、すべてそろった感覚に近いかもしれません。さらに、2019年12月には、「ポケトークS」という大きくバージョンアップした次号機を発売します。まさに、人類史上最高の翻訳機です。もちろん、今がゴールではなく、新たなスタート地点に立ったばかり。拙著『売れる力 日本一PCソフトを売り、大ヒット通訳機ポケトークを生んだ発想法』を通じて、私たちが体験してきた経験や教訓が、ビジネスパーソンのみなさまのほんの少しでもお役に立てたら幸いです。