社長自身が家電量販店の店頭にみずから立って商品を売り、お客さまの動向をみているソースネクストでは創業後、ソフトの取扱量が急増した時期に卸を活用していた時期もあります。しかし、やがて小売店との直接取引に乗り出し、今もその体制を堅持しています。なぜ業界の慣習に逆らって、あえてそうしたのか? 同社の松田憲幸社長の著書『売れる力 日本一PCソフトを売り、大ヒット通訳機ポケトークを生んだ発想法』から紹介します。
ソースネクストの創業時、まずは量販店に勤める友人を介して「T・ZONE」や「ソフマップ」へ社長である私自身がうかがって、それぞれの量販店の法被(はっぴ)を着て、店頭に立って売らせてもらっていました。
起業からしばらくして、販売ソフトの数が増えて売れ行きが上向いていくと、さすがに製品を配送するのが大変になってきました。そんなとき、量販店側から教わったのが、卸という中間流通の存在です。世の中に問屋があることも知らないなんて、と笑われたのを今でも覚えています。
そして、どんどんソフトが増えてビジネスが拡大し、卸というのはなんとありがたいものだ、と思ったものでした。同時に、私の中では危機感も生まれていきました。
すべてのビジネスが卸を経由すると、自分たちの意思が売り場に伝わりづらくなります。たとえば、良い製品ができて、これは店頭で前面に押し出したいと考えても、必ずしもうまく並べてもらえなかったりする。卸の判断一つで、製品を選ばれてしまうからです。自分たちが売りたいものが、思うように売れなくなってしまう危険性もある。
もちろん卸を通すと多くの製品を効率よく納入できる利点がありますが、私は量販店との間で商談を自由に設定できないことが何より不満でした。こんなふうに売りたい、こんなふうに展開したい、という相談が直接できないのです。また、自分たちの製品を、自分たちが置きたい売り場に並べるための条件交渉もできません。
同時に、卸側から要求されるリベートが何にどのように使われているのか、わからないことも、また不満でした。また、卸側が交渉力を握り、すべて仕切られて、「今回は○%で卸してください」と言われたら拒めません。なぜなら、ほかに製品を届ける選択肢がないからです。
そして、もう一つ大きいのは、卸を通していると店頭での実売データが手に入らないことです。実売データを通じてマーケットの現状がわかります。
こうした問題意識から、ソースネクストは、卸を通さない小売店との直接取引に乗り出しました。驚くべきことに、あれから20年近く経っても、量販店と直接取引しているソフトウェアの会社は日本では当社だけだと思います。マイクロソフトやアドビといった世界的な大企業ですら、すべて流通業者を通して量販店に卸されているのです。
家電量販店との資本関係の効果
では、なぜソースネクストだけ量販店との直接取引を実行できたのか。
一つは、量販店との間に資本関係を作っていたことです。株式を買ってもらって出資してもらっていれば、単なるソフト会社と量販店との取引関係だけでない、良い関係が作れる、と私は考えていました。
最初にヨドバシカメラさんに出資してもらったのは1999年ですから、直接取引が始まる5年前のことです。その効果を狙っていたわけではありませんが、直接取引するに当たって、資本関係のおかげで交渉がスムーズだったことは間違いないと思います。
実は直接取引のきっかけは、ある大手家電量販店から申し出があったことでした。
ソースネクストは当時、ソフトをもっと広く世の中の人に使ってもらいたいと、価格を相場の5分の1ほどに一気に値下げして1980円均一で売り出し、業界が大騒動になっていたのです。このとき、価格を大きく引き下げ販売量を大きく伸ばしたことを、その大手量販店に非常に高く評価してもらっていました。この戦略を応援する意味でも、直接取引をしたい、というお言葉を頂いたのです。
そして、その大手量販店と直接取引の契約を結んだと伝えると、他の大手2社の量販店も直接取引に舵を切ってくれました。こうして業界の大手3社との直接取引が実現しました。
びっくりすることが起きたのは、その少し後のことです。発売前から大きく話題になっていた「ウイルスセキュリティZERO」が、直販取引の契約をしていなかったある量販店でなんと発売日に並ばなかったのです。
何が起きたのか、真相はわかりません。非常に話題の製品だったので、明らかにおかしな事態です。私はその量販店に訪問して直接取引をさせてほしい、とお願いしました。返ってきたのは、意外な言葉でした。
「直接取引のためには、会社が上場をしていることが条件です」
私はこの一言で、上場を急ぐことを決意し、5ヵ月後のこの年の12月に上場を果たしました。その報告がてら、再びその量販店に出向くと、直接取引が開始されました。
その後、残る数社の量販店とも同様の契約を結び、卸を通さない業界唯一の直接取引という型破りな取り組みが実現しました。結果的に、これがソースネクストの成長を大きく下支えしてくれることになります。「ポケトーク」を展開する場合も、もし売り場を確保する交渉が量販店と直接できなければ、発売当初から大きく展開してもらえなかったでしょう。
直接取引にはもちろん、怖さもありました。それでも、踏み込んだ意義は大いにありました。(つづく。詳しくは松田社長の著書『売れる力』をご覧ください)
松田憲幸(まつだ・のりゆき)
ソースネクスト株式会社代表取締役社長
大阪府立大学工学部数理工学科卒。日本アイ・ビー・エム株式会社のシステムエンジニアを経て、1996年に株式会社ソース(現ソースネクスト株式会社)を創業。2006年12月に東証マザーズ、2008年6月に東証第一部に上場。ソースネクストは約50カ国で働きがいに関する調査を行うGreat Place to Workによる2019年版日本における「働きがいのある会社」ランキング(従業員100~999人)で12位と5年連続でベストカンパニーに選出されたほか、東洋経済オンライン「初任給が高い会社ランキング」(2017年)で第7位にランクイン。2012年より米国シリコンバレー在住、日本と行き来し経営にあたる。兵庫県出身。新経済連盟理事。
【関連書籍のご案内】
『売れる力 日本一PCソフトを売り、大ヒット通訳機ポケトークを生んだ発想法』
著者:松田憲幸(ソースネクスト株式会社社長)
2020年1月9日(木)夜10時~テレビ東京系列「カンブリア宮殿」出演!
10年で時価総額50倍に!
「特打」「驚速」などパソコンソフト累計5000万本、
初の翻訳機「ポケトーク」でシェア95%を実現した
【常識破りの、全ノウハウ】とは?
ソースネクストの創業は23年前。システムエンジニアだった松田社長は、それまで経験のない店頭販売や価格交渉を実戦で鍛えつつ、お客さまの「面白さ」「煩わしさ」をヒントにユニークな製品をつぎつぎ発売してきました。本書では、具体的な製品を挙げながら、それら製品や売り方の着想プロセスを語りつくします!
◆買ってしまう、欲しくなる「売り」の作り方
◆「特打」「驚速」「ポケトーク」などネーミングの秘密
◆明石家さんまさんCM出演の裏側
◆カッコ良すぎると売れない不思議
◆みずから店頭に立つと見えてくる売れる真実
◆ウイルス対策ソフトの更新料をゼロにできる理由
◆儲けている会社ほどお客様の満足度が高いという事実
◆実力がある人が出世できないと、みんなが困る風土
<反響続々!>
・紀伊國屋書店新宿本店 「社会」ジャンル第1位!(2019年12月16~12月22日)
・三省堂書店有楽町店 ビジネス書ランキング第1位!(2019年12月30日~1月5日)
・丸善日本橋店 ビジネス書ランキング第3位!(2019年12月26日~12月31日)
《著者より》
本書は、さまざまな紆余曲折の中で、私たちの生き残りにつながったユニークな製品や仕組みを、どのように考えて作りあげてきたのか、振り返ってまとめました。これからの厳しいビジネス競争をみなさまが生き抜く何かのヒントになれば、と願っています。ただし、これがヒントといえるか心もとない……というのも本音で、私たちが少し変わった会社である(とよく言われる)ことも事実です。こだわることと、とらわれないことのバランスが一風変わっていた、とでもいいましょうか。
たとえば、社長である私自身が、量販店の売り場に立って販売するのは、当社では当たり前でした。むしろ私は、喜んで店頭に立っていたのです。2019年も店頭に立って販売してきました。量販店の法被(はっぴ)を着て立ち、ポケトークの売れ行きについて、お客さまの生の声をうかがうためです。そんな「売れる」現場を大事にしてきたのと同時に、私が強烈にこだわってきたのは、パッケージやネーミングでした。同業他社は開発に鎬(しのぎ)を削っていましたが、お客さまから選んでもらうポイントはまず中身よりも「見た目」にある、と考えたからです。このため、ネーミングやパッケージデザインを担うデザイナーを、創業当初に役員待遇で迎えました。
また、ソフトの世界では、家電量販店等の小売店に製品を置いてもらうときは卸を通すのが常識ですが、私たちはもう15年も前に、卸を離れて小売店との直接取引に踏み出しました。卸を通すと、売り場を自分たちで思うように演出できないうえ、実売データも入ってこないからです。こんなことをした会社は後にも先にも、なんと今この時代ですら、パソコンソフト業界では私たちしかいません。
価格にもこだわりました。パソコンソフトは数千~1万円するのが当たり前だった時代に、それではユーザーは増えないし、販売ルートも限られる、と考えて、価格を一気に下げました。1980円に統一してしまったときには、業界から罵詈雑言(ばりぞうごん)も浴びせられました。それでもひるまず、このとき一気に100タイトルを世に送り出し、多くのお客さまからの支持を得て、同時に競合を完全に振り切ったのでした。
このほか、会社の倒産の危機をからくも脱した直後の2012年からは、社長である私がアメリカのシリコンバレーに移住しています。日本に本社があるのに、社長みずからがアメリカに移住してしまったことで、これまた驚かれました。しかし、この選択は大正解でした。
現地でのすばやい交渉が奏功し、「Dropbox」や「Evernote」などのいわゆるクラウド製品の日本語版販売の権利を取得でき、それも日本式に量販店でパッケージとして売り出したことで大ヒットしました。クラウド製品をダウンロードするのではなく、量販店で手に取りながら、アフターサービスも保証されるパッケージとして売ったことが、業界の、そしてお客さまの度肝を抜くことになったのでした。
こうした取り組みでは、それぞれに学びがありました。そして今、これらすべての経験や仕組みが揃ったおかげで、ソフトウェア会社だった我々が、冒頭紹介したとおり、ハードウェアであるポケトークを大々的に展開することもできています。長年かけて、一つひとつジグソーパズルのピースをはめてきて、すべてそろった感覚に近いかもしれません。さらに、2019年12月には、「ポケトークS」という大きくバージョンアップした次号機を発売します。まさに、人類史上最高の翻訳機です。もちろん、今がゴールではなく、新たなスタート地点に立ったばかり。拙著『売れる力 日本一PCソフトを売り、大ヒット通訳機ポケトークを生んだ発想法』を通じて、私たちが体験してきた経験や教訓が、ビジネスパーソンのみなさまのほんの少しでもお役に立てたら幸いです。