9月24日に開催されたオンラインイベント「ライターの未来──だれもが書き手になる時代、あなたは何を書くのか」(主催:note株式会社)。いいニュースのつくり方を論じた『ニュースの未来』(光文社)を8月に上梓したノンフィクション・ライターの石戸諭さんと、ライターの教科書をコンセプトにした『取材・執筆・推敲』(ダイヤモンド社)を4月に上梓したライターの古賀史健さんによる対談が行われた。
対談の後編では、若手ライターが成長し、活躍するために必要な条件に話が及んでいく。得意ジャンルは絞らなくていい、個性を無理に出そうとしなくていい。そう語るふたりの真意とは──。(構成/栗田真希)

自分にしか書けないものを発見するために。

ジャンルは無理に自分で決めなくていい。

石戸諭(以下、石戸):古賀さんは『取材・執筆・推敲』のなかで、得意分野を「ジャンル」ではなく「スタイル」で考えるべきだって書いてますよね。

古賀史健(以下、古賀):はい、はい。たとえばクルマに強いライターの需要は、昭和の時代といまじゃ全然違います。そういう得意な「ジャンル」よりも、インタビューとかエッセイとか「スタイル」ごとに得意分野があると、時代に左右されにくいっていう話ですね。

石戸:ぼくはとくにその部分、勇気づけられたっていうか、胸に刺さったなあ。それはやっぱり、ぼくがノンジャンルのライターだからなんですよ。ジャンルを決めてしまう方が一見するとラクなんです。新聞社でもまずテーマを決めろと言われました。でも最初は、「なにを選ぶんだ?」ってなるじゃないですか。

古賀:ああ、ジャンルの話で言うとぼくは以前、漫画家の西原理恵子さんに取材したときに聞いた話が印象的で。彼女は駆け出しのころ、いろんなジャンルに興味があって、特にファッションとかおしゃれなもの、マガジンハウスの雑誌に載るような仕事をやりたいっていう気持ちがすごく強かったらしいんですよ。そして実際、いくつかやったらしくって。

自分にしか書けないものを発見するために。古賀史健(こが・ふみたけ)
1973年福岡県生まれ。九州産業大学芸術学部卒。メガネ店勤務、出版社勤務を経て1998年にライターとして独立。著書に『取材・執筆・推敲』のほか、31言語で翻訳され世界的ベストセラーとなった『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(岸見一郎共著、以上ダイヤモンド社)、『古賀史健がまとめた糸井重里のこと。』(糸井重里共著、ほぼ日)、『20歳の自分に受けさせたい文章講義』(星海社)など。構成・ライティングに『ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。』(幡野広志著、ポプラ社)、『ミライの授業』(瀧本哲史著、講談社)、『ゼロ』(堀江貴文著、ダイヤモンド社)など。編著書の累計部数は1100万部を超える。2014年、ビジネス書ライターの地位向上に大きく寄与したとして、「ビジネス書大賞・審査員特別賞」受賞。翌2015年、「書くこと」に特化したライターズ・カンパニー、株式会社バトンズを設立。2021年7月よりライターのための学校「バトンズ・ライティング・カレッジ」を開校。

石戸:いわく信じがたい話ですけど、はい(笑)。

古賀:うん(笑)。でも、ファッション雑誌におしゃれっぽいものを描いても、次のお声がまったくかからないと。逆にたとえば麻雀雑誌に麻雀の漫画を描いたり、あるいはちょっとエッチな雑誌に赤裸々な漫画を描いたり……そうすると「あれ、おもしろかったね。またやってよ」って次の依頼がどんどん来るんですって。

石戸:あははは(笑)。

古賀:彼女はそれで「自分の『得意』は、他人が見つけてくれるものである」とわかったんだって。自分であれこれやりたいことを考えても、絶対に得意なところへは行けない。逆に他人が「あの仕事よかったから、また今度お願い」って言ってくれた方向にどんどん進んでいく。そうすれば自分の得意分野にたどり着くんだって話をしてました。

石戸:あー、すっごくよくわかるなあ、それ。

古賀:うん。それは西原さんのキャリアから見てもね、すごくわかるし、ぼくらのやってる仕事もたぶんそうだと思うんですよ。自分で無理にジャンルを絞って決めつけなくても、プロとして仕事を積み重ねていくと、自然と選ばれる分野ができてくるものなので。

苦手と思う分野こそ、鉱脈がある。

石戸:さっきの得意分野は自然と選ばれていくことにつながる話でいうと、ぼく、独立にあたって唯一決めたルールがあるんです。それは「特別な理由がない限り、どんなジャンルの仕事も断りません、引き受けます」というものなんです。

古賀:ああ、それは大事ですよね、うん。ぼくも、よく若いライターさんとか編集者さんには、「得意分野を探すより、とにかく苦手な分野に行ってみろ」っていう話をするんですよね。

石戸:つまり、苦手だと自分が思ってるところに。

自分にしか書けないものを発見するために。石戸諭(いしど・さとる)
1984年、東京都生まれ。ノンフィクションライター。立命館大学法学部卒業後、2006年に毎日新聞社に入社し、2016年にBuzzFeed Japanに移籍。2018年に独立してフリーランスのライターに。2020年に「ニューズウィーク日本版」の特集「百田尚樹現象」で「第26回編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞作品賞」、2021年に「文藝春秋」掲載のレポートで「PEPジャーナリズム大賞」を受賞。週刊誌から文芸誌、インターネットまで多彩なメディアへの寄稿に加え、フジテレビ、朝日放送などへのテレビ出演と幅広く活躍中。著書に、『ニュースの未来』(光文社)、『リスクと生きる、死者と生きる』(亜紀書房)、『ルポ 百田尚樹現象 愛国ポピュリズムの現在地』(小学館)。最新刊は『東京ルポタージュ』(毎日新聞出版)。

古賀:そうそう。たとえば編集者とかライターって、文系の人間が多いでしょう。で、文系の人間が理系のことを調べて、理系の先生に話を聞いて、高等数学をイチから勉強し直す。そういうふうにつくられたコンテンツは、めちゃくちゃおもしろいんですよ。多くの読者と同じ理解度から取材がスタートしているから。

石戸:わかる。わかります。

古賀:苦手の方へ苦手の方へ進んでいけば、絶対なにか大きな鉱脈がある。もちろん苦手なところに踏み込んで行くときって、恥もかくし、調べものは多くて面倒くさいし、心底大変なんだけど、それを乗り越えたら、絶対なんかあるんですよね。

石戸:ああ、ありますよね。しかも「イチから教えてください!」って頭を下げたら、専門家の人たちって素人のぼくたちにも快く教えてくれるんですよね。あの、古賀さんが専門家の先生たちに取材するとき、相手の言ってることがわからなかった場合は、どうしてます? 素直に「わからない」って言いますか?

古賀:うーん。わからないなりに自分が理解したことを「つまり、こういうことですか?」って返します。それがだいたいピントが外れてるんで(笑)、相手の方がピントを調整してまた説明してくれて……っていう繰り返しです。

石戸:ああ、ぼくも同じです。一回相手の考えをトレースするっていうか。

古賀:うん。ただ単に「全然わかりません」って言うんだったら、せっかくお話ししてくれた相手に対する敬意が足りないじゃないですか。ちゃんと自分なりに考えて、自分なりに理解した言葉でアウトプットする。それに対して相手が「そうじゃないんだよね」って別の言葉で語ってくれる。そういうやりとりのなかで、理解や議論が深まっていくんですよね。

ライターの発見が、読者の発見のタネになる。

石戸:専門的なジャンルを持ってた方がよかったのかなあと思うことも多々ありますけど、それでもやっぱりノンジャンルのおもしろさっていうのは、代えがたいですよね。

古賀:ノンジャンルって、自分のなかに「苦手」がたくさんあるってことじゃないですか。でも発想を転換したら、それは強みになるんですよね。毎回「苦手」に挑んで、なにも知らない読者と同じ立場でその対象を考える。そうやってイチから理解したことは、読者に対してイチから伝えることができる。だからライターにとっての「苦手がいっぱい」は「得意がいっぱい」とほぼ同義なんですよ、ぼくの考えからすると。

石戸:なるほど! すごい深いことを言われた気がする(笑)。

古賀:(笑)。

石戸:ぼくも『ニュースの未来』に、よいニュースの要素として「謎」「驚き」「批評」「個性」「思考」の5つを挙げました。この「謎」と「驚き」っていうのは、素人の自分にとっての謎と驚きなんですよ。

古賀:うんうん。

石戸:ひとりの素人として調べているうちに、どうしたって驚きが出てくる。「おおー! こうだったんだ!」みたいな。専門家からすれば「こんな当たり前の話を今更知ったのか」みたいな反応になると思うんだけど。そういう謎を解き明かしていくと、どんなところにだっていいニュースのタネって見つかりますね。

古賀:石戸さんの言う「驚き」っていうのは、ぼくの本で書いている「発見」と一緒ですよね。そこで書き手が発見したものを原稿にしたとき、それは読者にとっての発見になるんですよ。

 だからぼくらライターは、読者に発見を提供するために、いろんなところに行って宝物を発見をしなきゃいけないトレジャーハンターみたいな立場にいて。ぼくらは取材するとき、なるべく「僻地」に行ったほうがいいんですよ。誰も足を踏み入れないような「僻地」で、なにかを発見してくる。

石戸:ああ、なるほど。それは比喩としての「僻地」ですよね。

古賀:そうそう。それは、インターネットのなかの僻地かもしれないし、ディープな情報を知ってる人との会話って意味での僻地かもしれない。とにかくマスメディアで流れてくる情報とかじゃなくって、多くの人が聞いたことのない話とか、素通りしている話を探す。そういう僻地へ行って、なにかちいさな「タネ」を掴んできて、それを原稿のなかに植えていく。そこから出た芽が、読者にとっての発見になるんですよね。

個性を探すより、無色透明を目指していく。

石戸『ニュースの未来』のなかで、よいニュースには「個性」があるって書いたけど、ぼくの定義からすると個性って、「結果的にそうなってしまうもの」なんですよ。だから、「自分でこういう色をつけよう」みたいに無理をすると、個性というより奇抜なだけになるっていうか。

古賀:わかる。ぼくは、若いころ金髪にしてた時代があるんですけど(笑)。

自分にしか書けないものを発見するために。

石戸:ははは(笑)。

古賀:それはまだSNSもなんにもない時代で、とにかく少しでも目立って「古賀くんってあの金髪の彼ね」って話題に上がって編集者に覚えてもらえればいいなと思ってたんだけど。でも、金髪ってわかりやすい個性だから埋没するんですよね、逆に。金髪が3人いたら、もう3人のうち誰だかわからなくなっちゃう。

石戸:「どの金髪?」みたいな(笑)。

古賀:そうそう。そんなところで目立ってもしょうがないじゃないですか。個性的であろうとすると、そういうヘンな罠に陥っちゃうことがよくあるんですよね。原稿を書くときもイントロダクションのところでものすごいケレン味を出してしまうとかね。本人は自分の筆に酔っているんだけど、全然おもしろくないっていうことがある。

石戸:古賀さんは『取材・執筆・推敲』で、「ライターは無色透明を目指すのがいい」って書いてましたね。

古賀:うんうん。だからさっき石戸さんが言ってた「個性は結果としてそうなっちゃうもの」っていうのは、すごくその通りで。ぼくの金髪もそうだし、ヘンな文章もそうなんだけど、「目指した個性」っていうのは模倣なんですよね、ただの。

石戸:そうそう、そう。

古賀:模倣はどこまで行っても模倣でしかないんですよ。本物のオリジナルや個性っていうのは、結果としてそうなっちゃうものだから、狙ってやってるものじゃないんです。だから、ほんとうにその人にしか書けないものを読みたいし、目指してほしいですね。

司会:すみません、もう予定時間を大幅にオーバーしておりまして……。

石戸:あ、もうこんな時間なのか。話が尽きないですねこれ(笑)。

古賀:(笑)。ありがとうございました。

石戸:こちらこそ、ありがとうございました。……しゃべりすぎたね(笑)。

(終わり)