北京五輪の「オリンピック休戦」をむげにしたロシア、IOCバッハ会長の葛藤2014年ソチ五輪閉会式 Photo:Pascal Le Segretain/gettyimages

雪の結晶のモチーフに包まれた小さな聖火が静かに消え、第24回オリンピック冬季競技大会が幕を閉じた。有終の美を飾ったように見えるが、最後の問いをクリアしなければならない。果たしてスポーツによるスポーツのためのスポーツの祭典であったかという問いである。パラリンピックが控える最中、ロシアはウクライナに軍事的に侵攻した。今、IOCにできることはあるのか?(元JOC職員・五輪アナリスト 春日良一)

有終の美を飾ったかに見える北京五輪、IOCの苦悩

 映画監督、チャン・イーモウ氏の演出する開閉会式が北京冬季オリンピックの成功の秘訣を端的に物語っていた。誰もが見たこともない小さな聖火、それはギリシャから運ばれ、北京市と河北省の限られた地域を3日間だけ回り、約1200人につながれたそのままの形で大会17日間を照らした。コロナ禍での目標「簡素、安全、精彩」への決心が確かだった。それは大会運営全般にも行き渡っていた。

 バブル方式の徹底ぶりは「クローズドループ」(行動を追跡し、把握する手法)という表現が言い得て妙なほどの厳しさだった。現地に行こうと思っていた私は中国の旧友に北京への招待を依頼していた。

 しかし、直前になってその依頼は却下された。私の要望を無碍(むげ)に断る人ではなかったが、「既に私もループに入ってしまった。今回は諦めてくれ、バッハ会長の奥様も無理なんだ」と言われた。バッハ会長でも今回はループの外に散歩にも行けなかったのである。大会期間中は「閉じられた輪」に捉えられる。

 東京2020は有観客か無観客かぎりぎりまで決心できず、最終的に直前で無観客にしたが、北京は国内チケット販売についての諦念を早々に決めて無観客の準備をしていたのであろう。オミクロンが広がるとみるや否や、招待客限定の有観客に切り替えた。

 東京2020のコロナ対応の五輪を引き継ぎ、さらに先鋭化した形は、コロナ禍での今後のスポーツ大会開催へのモデルを提供できるかもしれない。

 しかし、今大会は、果たしてスポーツによるスポーツのためのスポーツの祭典であっただろうか。