約20年にわたって中国ビジネスに携わってきた弁護士・税理士の村尾龍雄さんの新刊『これからの中国ビジネスがよくわかる本』の内容をダイジェストでお伝えする本連載では、前回まで中国ビジネスを継続するためにチャイナリスクを効果的にヘッジする手法を紹介してきました。初回から「尖閣問題は当面解決できない」前提でお話を始めましたが、何かと話題にのぼるテーマですので、正しく理解しておく必要があります。ここで、事の発端までさかのぼって尖閣問題のおさらいをしておきましょう。

「棚上げ合意」は存在したのか?

 尖閣問題は、2012年4月当時に石原慎太郎東京都知事(当時)がアメリカ訪問時に尖閣諸島の都有化を宣言したことを受け、民主党政権が日中関係を友好的に維持するために「都有化よりは国有化のほうがマシ」という理屈で国有化に踏み切ったことから勃発したものです。

 中国側は、この一連の行為に対して、長らく両国間の暗黙の合意であった「棚上げ合意」を一方的に破棄するもので、両国間の緊張関係は日本側が一方的に作り出した、と主張しています。もっとも、日本政府はそもそも「棚上げ合意」は存在しないという立場のもと、中国側の主張は前提を欠く失当である、と反論しています。

 そこで、そもそも「棚上げ合意」は存在していたのか、が問題となります。

 まず、「棚上げ合意」があったとする見解には、2つの異なる根拠が主張されています。

 ひとつは、1972年9月29日の日中国交回復の直前に形成された、という説です。きっかけは、1968年に実施された国連の調査船が尖閣諸島付近に莫大な埋蔵量の石油がある可能性を指摘したことでした。中国が尖閣諸島の領有権を突如主張し始めたことは、日中国交回復交渉の障害のひとつと認識されましたが、即時解決は難しいとの判断から、この問題を当該交渉では取り上げないというのが外務省の方針でした。

 しかし、周恩来総理(当時)との交渉時に田中角栄首相(同)は突如シナリオにない次のような質問をしました。「周総理は、尖閣諸島をどのようにお考えですか」。これに対して、周恩来総理は「あそこは石油が出るから問題になった。しかし、この問題はここでは取り上げないこととしましょう」と回答し、これを受けた田中首相も「それもそうですな」と応じた、というのです。このやり取りが、「棚上げ合意」形成の根拠とされています。

 少なくともこのような会話があったことは、当時外務省の国際情報局長であった孫崎享氏編『戦後史の正体 1945〜2012』(岩波書店、2012年)にも記されていますし、これをして「暗黙の了解」による「棚上げ合意」形成があったとする見方は、野中広務・元内閣官房長官が2013年6月3日に北京を訪問したときと、瀬野清水・前重慶総領事が同月5日日本記者クラブにて、それぞれ支持しています。