やがて来る年金基金における資本形成の不足 ダイヤモンド社刊
【絶版】

「個人にとって、年金基金へ拠出した金は貯蓄である。しかしそれは、社会にとっての資本形成ではない。移転支出にすぎない。就業者の購買力を退職者に移転させたにすぎない」(『見えざる革命』)

 年金基金は、これまで資本形成を行なってきたし、これからもしばらくは資本形成を行なっていく。年金として払う額よりも、入ってくる額のほうが多いからである。この差額は、そのまま投資資金として使われる。

 しかし、いかなる年金基金といえども、やがて収入と支出が均衡する。基金設立時には最若年だった加入者も退職年齢に達し、年金を引き出す側に回る。

 ドラッカーは、やがて年金基金が、資本形成に対してマイナスの影響を与えるようになるという。

 こうして加入者が歳をとり、年金を受給するようになると、年金基金は将来のキャピタルゲインよりも、今日の現金収入を必要とするようになる。かくして年金基金は、企業に対して資本形成よりも配当を要求するようになる。

 ということは、資本形成を罰することは、膨大な退職者を扶養しなければならない年金社会では許されないぜいたくと化す、ということである。

「就業者の疑似貯蓄によってその消費をまかなわれる退職者は、増加の一途をたどる。その結果、年金給付の総額が増加し、いわば逆貯蓄というべき現象が始まる。だが今日、この逆貯蓄を埋めるための資本形成の方法について、真剣に検討されることはほとんどない」(『見えざる革命』)