「答えありき」の逆算
算定プロセスへの冒涜

 まず、本件の問題の核心は、旧経営陣がボーンズによる最終的なTOB価格「1株8075円」に合意する過程にあるのではない。TOB価格を正当化するために、「理論株価の方を後から合わせにいった」という、不適切な算定プロセスにある。

 通常、TOBの提案を受けた企業は、独立した第三者機関に自社企業価値(理論株価)の評価を依頼することで、TOB価格が適切かどうかを判断し、賛同または反対意見などを表明する。そして、その意見と企業価値評価は、株主がTOBに応募するかどうかの判断材料にもなる。

 この企業価値の算出には幾つかの手法があり、その一つが将来のキャッシュフローを現在価値に割り引く「DCF法」だ。これは高度な専門性を要する領域で、その性質上、事業計画の前提条件が大きく変わると計算結果も大きく変わるという特徴がある。つまり、あってはならないことであるが、もし将来の事業計画の採用に恣意性があった場合、評価結果にも恣意性が内包されることになる。

 報告書によれば、TOCOS旧経営陣と、その指南役であったFAの「h社」(報告書内。以下同)は、この算定プロセスの中で禁じ手を連発した。

 その一つが、「成長の未来」を切り捨てる、という恣意的な操作だ。

 TOCOSには「29年度までの5カ年計画」が存在した。通常、DCF法ではより長期の計画を用いた方が、企業の成長余力を正確に反映できる。しかし、この5カ年計画を用いると、算定される理論株価がその時点でのボーンズの提示額を上回ってしまう可能性が高かった。

 そこで彼らは、あえて成長が見込まれる後半2年を切り捨て、「27年度までの3カ年計画」のみを算定基礎とするよう、第三者算定機関である「e社」に圧力を加えたのである。これは、意図的に「企業の未来」を縮小して見せることで、株価を低く見積もらせる“詐欺的な行為”にほかならない。

 これは単なる「保守的な見積もり」の範疇ではない。結論から逆算して、そこに至る数式を捏造する行為であり、企業価値算定業務に対する背信行為である。

 なぜ、独立した第三者機関である算定機関に対し、このようなゆがんだ圧力がかけられたのか。そこには、資本市場の番人たるべきFAからの驚くべき“指南”があった。

 報告書には、算定機関による経営陣へのヒアリング(マネジメント・インタビュー=マネイン)を前に、TOCOS側FAであるh社の代表取締役がTOCOSの「A元社長」へ送った、耳を疑う言葉が記録されている。

「差し出がましい意見かと思いますがこのマネインは重要です。『真実を知って貰う』ではなく我々の意図に沿って落としどころに e 社を導くことです」。要するに、算定機関に「公正な評価」を探求させるのではなく、彼らの意図に沿った「低い評価」に誘導しようとしたのだ。

 この発言は、本件の本質を残酷なまでに言い当てている。彼らにとって株価算定とは、客観的な企業価値を測る「秤(はかり)」ではなく、クライアント(旧経営陣)が望む価格にお墨付きを与えるための道具でしかなかったのである。

 さらに、算定機関の担当者が専門職としての良心から抵抗の姿勢を見せると、TOCOSの「B元専務」は「指示に従わないなら報酬は支払わない」と、半ば恫喝(どうかつ)に近い圧力行使の指示すら行っていたという。これは算定機関の独立性をないがしろにした、あり得ない発言である。

情報の非対称性と
「8300円」の隠蔽

 株価算定がゆがめられることの最大の被害者は、常に一般株主である。経営陣は会社の内部情報を全て知っているが、株主は開示された情報しか持ち得ない。だからこそ、専門家が会社の内部情報を把握した上で算定した評価報告書を信じるしかない。

 TOCOS事件において、この信頼は二重の意味で危機にさらされた。第一に、前述の通り算定根拠そのものが経営陣による操作の標的となったこと。そして第二に、株主が本来知るべき「対抗提案の存在」が株主に知らされないまま総会を迎えることになったことである。

 実は、ボーンズのTOBと前後して、国内の上場企業「c社」がTOCOSへの買収意欲を繰り返し示していた。さらに、TOB後には「1株8300円」という、より高値の対抗提案がなされていたのである。

 本来、こうした対抗提案の存在は、株主が投資判断を下すための極めて重要な参考情報である。しかし、旧経営陣はそれまでc社に対して「時間稼ぎ」のような消極的対応を続けていた。その結果、8300円という具体的な提案内容が株主へ開示されないまま、定時株主総会当日を迎えることとなったのである。

 株主は、より好条件の選択肢が存在することを知らされないまま、議決権の行使を迫られた。寸前で滞った情報開示は株主の目をふさぎ、彼らの利益を損なうための「目隠し」として機能したのである。

 25年6月の株主総会における会社提案の否決と、その後の旧経営陣の退陣は、株主アクティビズムが機能した稀有な事例であると同時に、日本のM&A実務に対する警鐘でもある。

 TOCOS事件が示したのは、「形式的な独立性」の限界である。FAや算定機関が形式的に独立していても、報酬体系や継続的取引関係を背景に、経営陣の意向に迎合するリスクは常に存在する。特別委員会は、アドバイザーの選任段階から実質的な独立性を厳格に検証する必要がある。

 今回FAに任命されたh社のホームページを見る限り、彼らの本業は「戦略コンサルティング」「人材派遣」と紹介されている。本件のような高度な知識や経験が要求されるM&Aのアドバイザーの実績はどこにも紹介されていない。一般的にコンサルティングに免許や認可はいらないが、実績やネームのある企業はレピュテーション・リスク(信頼の失墜)といつも戦っている。今回のようなM&A業界ではほとんど実績のないアドバイザーにとって、不正に手を染めても今後のビジネスへの影響はないであろう。

 今回の事件は、FAはもとより、モラルハザードを起こす(経営者の意図通り動く)可能性のあるFAを任命した経営者、およびその起用を許した特別委員会にも責任があると言わざるを得ない。違法または不当な目的に加担したアドバイザーに対しては、レピュテーション・リスクのみならず、法的責任(任務懈怠に基づく損害賠償責任等)が問われるべき局面にきている。

 本件は、経営陣の保身とアドバイザーの倫理欠如が結合したとき、企業ガバナンスがいかに脆く崩れ去るかを実証したケーススタディとして、長く参照されることになるだろう。

Key Visual by Noriyo Shinoda, Kanako Onda