猪熊建夫
第22回
東京の西郊、おしゃれで粋な街として知られる吉祥寺(武蔵野市)にある私立高校だ。戦前は7年制の旧制高校だった。良家の息子、娘が通う学校として、定評がある。自民党衆院議員で、元首相の安倍晋三が卒業したのが、成蹊高校だ。

第21回
「こうづ」高校という。大阪城の南、大阪市内の真ん中の上町台地に位置する場所に校地がある。卒業生には「いかにも大阪人」という人物が多い。伊藤忠商事の社長から2018年4月に会長兼CEO(最高経営責任者)に就いた岡藤正広(おかふじ・まさひろ)が大阪人の典型だ。

第20回
北海道内で5番目に設立された旧制北海道庁立中学を前身とする。札幌市中央区にある。芸術家、小説家など文化人を多数、輩出させている。全国の高校の中でも珍しい存在だ。

第19回
神奈川県のほぼ中央にあって、東に相模川、西に丹沢を望む厚木市。1902(明治35)年にこの地に県第三中学校として開校したのが、前身だ。硬軟の多様な人材を輩出していることで知られる。活躍中の若手の卒業生から、紹介しよう。

第18回
「銅駝」は「どうだ」と読む。日本で最初の美術学校として1880(明治13)年に創立された京都府画学校をルーツとする。東京芸術大より古い。明治維新で東京に文化の中心が移っても、京都の画家たちは伝統を引き継ぎ、多くの俊英を輩出した。その「京都画壇」のバックボーンになったのが、この京都市立銅駝美術工芸高校(京都市中京区)、略称「美工」だ。

第17回
長野県の市の中で最も南に位置する飯田市。伊那谷を流れる天竜川沿いに街が広がる。長野県立飯田高校は、企業の創業者や自治体の首長を輩出している。

第16回
JR徳島駅の東側に、徳島城跡がある。江戸時代に蜂須賀家徳島藩25万7000石が、居城としていた。旧制徳島高女を前身とする県立城東高校は、その名の通り城跡のすぐ東にある。徳島市内の公立高校で、もっとも人気が高い。

第15回
東京都の西郊・国立(くにたち)市にある都立高校だ。前身である旧制東京府立第十九中学は、1940(昭和15)年に創立された。ナンバースクールとしては後発だが、自由闊達(かったつ)な校風を背景に、「都立の星」といわれることもある個性的な高校になっている。

第14回
「旧制一中伝統校」の鹿児島版が、鶴丸高校(鹿児島市)だ。県立二中を前身とする甲南高校とは良きライバル関係を続けている。難関大進学実績で全国に鳴り響いている私立ラ・サール高校も鹿児島市内にあり、刺激を受けている。

第13回
理不尽にも朝敵=賊軍に追いやられてしまった幕末・維新の会津藩の悲劇は、多くの小説やテレビドラマ、映画に描かれてきた。福島県はこの10年余では、原発事故にも見舞われている。福島県立会津高校(会津若松市)は、そうした歴史を背負っている。

第12回
都心の一等地にあり、140年の伝統を誇るカトリック系のミッションスクールだ。「白百合」という校名が物語るように、日本で五指に入るお嬢様学校だ。医者、文化人など裕福な家庭の娘で、しっかりした校風・校則に裏打ちされた真面目で品のよい生徒が多い。卒業後の進路は多岐にわたっており、社会人になってもさまざまな分野で活躍している。

第11回
三方を海に開かれ、本州と九州の結節点として、古くから栄えていた下関。源平の合戦や幕末維新で官軍側になったことなど、歴史の節々で登場する街だ。中国や朝鮮半島などとの交流も盛んだった。開明の気風を背景に、山口県立下関西高校(下関市)からは、有為な人材が多数、巣立っていった。最近では「政」と「官」で、話題の卒業生がいる。

第10回
大阪市の北側で、大阪都心から15キロ圏内にある豊中市。千里ニュータウンも一角を占めており、良好なベッドタウンだ。前身の旧制中学は大阪府立のナンバースクールの中では後発だが、日立製作所の新社長やシャープの2人の社長など経済界や学界で活躍する有為な人材を、多数、送り出してきた。

第9回
フランス系カトリックのラ・サール修道会が1960(昭和35)年に設立した男子のみの中高一貫私立校だ。北海道函館市の東部にあり、鹿児島市にあるラ・サール高校は兄弟校だ。40~60代の働き盛りで、「全国区」ベースで活躍している卒業生が、続々と生まれている。

第8回
「土佐」という校名や男女共学であることから、県立高校と誤解している向きもあるようだ。1920(大正9)年に旧制土佐中学として創立以来、私立だ。48(昭和23)年に新制土佐高校(高知市)に衣替えした時から、男女共学の6年制中高一貫教育をしている。

第7回
ノーベル賞の受賞者、アフガニスタンで非業の死を遂げた医師、文武両道のラグビー選手…個性が際立っている卒業生がそろっている。修猷館高校と良きライバル関係を続けている福岡高校(福岡県立・福岡市博多区)のことだ。多種多様で有為な人材が巣立った学校の校風と人脈は?

第6回
「附属」の愛称で、広島市民の間では親しまれている。国立の旧制中学は戦前、三つしかなかったが、その一つが広島高等師範学校附属中学、現在の広島大学附属高校(広島市南区)だ。明治以来の伝統に支えられ、経済界や官界、文化人として活躍した卒業生を、たくさん輩出している。

第5回
名古屋市で県立旭丘高校と双璧をなす進学校だ。とりわけ全国ベースで14年間、断然トップを続けているのが、大学の医学部医学科への合格者数だ。卒業生にはフィールズ賞受賞者や元首相、急成長を遂げているベンチャー「メルカリ」の創業者など、幅広く活躍する人材がそろっている。

第4回
戦後にできたキリスト教系の私立中高一貫校だ。校地は神奈川県鎌倉市にある。東京大はじめ難関大に多数のOBを送り込んできた。知名度抜群の卒業生を二人、紹介しよう。

第3回
2000年代に卒業生からは、経団連会長を2人、首相を1人、輩出している。50年前には東京工業大入試でトップ校だった。野球が強く都立高校の中では数少ない甲子園出場経験を持つ。小山台高校(東京都立・品川区)は文武両道の伝統校だ。
