猪熊建夫
第28回
通称は「緑高(りょっこう)」。横浜市の中心部・中区の南側の高台にある。2023年に創立100周年を迎える。港町の気風を映して校風は自由そのもので、多様な人材が巣立っている。

第27回
徳川家康が17年間を過ごし、天下統一の足がかりとした静岡県の浜松。現在では自動車や楽器など、日本有数の商工業都市になっている。そして、「ものづくりのまち」を象徴するような卒業生を多数、送り出している。

第26回
戦後の1951(昭和26)年設立の県立進学校だ。「舞鶴魂」という校是を持つ。「しまれ、がんばれ、ねばれ、おしきれ」だ。その独特な校是を背景に、高いレベルでの文武両道を実践している。今春には、野球部が甲子園に初出場する。

第25回
瀬戸内海に面し西日本最高峰の石鎚山(標高1982メートル)のふもとにある西条市。江戸時代には西条藩3万石が領していた。堀に囲まれた藩陣屋跡に愛媛県立西条高校がある。経済界や文化人あるいはスポーツで活躍した、多様な人物を輩出している。

第24回
「倭(やまと)は国のまほろば(素晴らしい場所)」と古事記、日本書紀にうたわれた。畝傍高校は、その奈良盆地の南東、橿原市にある。故地にあるということでは、日本指折りの由緒ある高校、と言える。今、注目されている卒業生は、自民党衆院議員で、党の政務調査会長を務めている高市早苗だ。

第23回
中京工業地帯の代表的な都市である四日市市。人口は30万人を超え、県庁がある津市を上回る。この地に設立された三重県第二中学を前身とするのが四日市高校だ。三重県でトップの進学校である。

第22回
東京の西郊、おしゃれで粋な街として知られる吉祥寺(武蔵野市)にある私立高校だ。戦前は7年制の旧制高校だった。良家の息子、娘が通う学校として、定評がある。自民党衆院議員で、元首相の安倍晋三が卒業したのが、成蹊高校だ。

第21回
「こうづ」高校という。大阪城の南、大阪市内の真ん中の上町台地に位置する場所に校地がある。卒業生には「いかにも大阪人」という人物が多い。伊藤忠商事の社長から2018年4月に会長兼CEO(最高経営責任者)に就いた岡藤正広(おかふじ・まさひろ)が大阪人の典型だ。

第20回
北海道内で5番目に設立された旧制北海道庁立中学を前身とする。札幌市中央区にある。芸術家、小説家など文化人を多数、輩出させている。全国の高校の中でも珍しい存在だ。

第19回
神奈川県のほぼ中央にあって、東に相模川、西に丹沢を望む厚木市。1902(明治35)年にこの地に県第三中学校として開校したのが、前身だ。硬軟の多様な人材を輩出していることで知られる。活躍中の若手の卒業生から、紹介しよう。

第18回
「銅駝」は「どうだ」と読む。日本で最初の美術学校として1880(明治13)年に創立された京都府画学校をルーツとする。東京芸術大より古い。明治維新で東京に文化の中心が移っても、京都の画家たちは伝統を引き継ぎ、多くの俊英を輩出した。その「京都画壇」のバックボーンになったのが、この京都市立銅駝美術工芸高校(京都市中京区)、略称「美工」だ。

第17回
長野県の市の中で最も南に位置する飯田市。伊那谷を流れる天竜川沿いに街が広がる。長野県立飯田高校は、企業の創業者や自治体の首長を輩出している。

第16回
JR徳島駅の東側に、徳島城跡がある。江戸時代に蜂須賀家徳島藩25万7000石が、居城としていた。旧制徳島高女を前身とする県立城東高校は、その名の通り城跡のすぐ東にある。徳島市内の公立高校で、もっとも人気が高い。

第15回
東京都の西郊・国立(くにたち)市にある都立高校だ。前身である旧制東京府立第十九中学は、1940(昭和15)年に創立された。ナンバースクールとしては後発だが、自由闊達(かったつ)な校風を背景に、「都立の星」といわれることもある個性的な高校になっている。

第14回
「旧制一中伝統校」の鹿児島版が、鶴丸高校(鹿児島市)だ。県立二中を前身とする甲南高校とは良きライバル関係を続けている。難関大進学実績で全国に鳴り響いている私立ラ・サール高校も鹿児島市内にあり、刺激を受けている。

第13回
理不尽にも朝敵=賊軍に追いやられてしまった幕末・維新の会津藩の悲劇は、多くの小説やテレビドラマ、映画に描かれてきた。福島県はこの10年余では、原発事故にも見舞われている。福島県立会津高校(会津若松市)は、そうした歴史を背負っている。

第12回
都心の一等地にあり、140年の伝統を誇るカトリック系のミッションスクールだ。「白百合」という校名が物語るように、日本で五指に入るお嬢様学校だ。医者、文化人など裕福な家庭の娘で、しっかりした校風・校則に裏打ちされた真面目で品のよい生徒が多い。卒業後の進路は多岐にわたっており、社会人になってもさまざまな分野で活躍している。

第11回
三方を海に開かれ、本州と九州の結節点として、古くから栄えていた下関。源平の合戦や幕末維新で官軍側になったことなど、歴史の節々で登場する街だ。中国や朝鮮半島などとの交流も盛んだった。開明の気風を背景に、山口県立下関西高校(下関市)からは、有為な人材が多数、巣立っていった。最近では「政」と「官」で、話題の卒業生がいる。

第10回
大阪市の北側で、大阪都心から15キロ圏内にある豊中市。千里ニュータウンも一角を占めており、良好なベッドタウンだ。前身の旧制中学は大阪府立のナンバースクールの中では後発だが、日立製作所の新社長やシャープの2人の社長など経済界や学界で活躍する有為な人材を、多数、送り出してきた。

第9回
フランス系カトリックのラ・サール修道会が1960(昭和35)年に設立した男子のみの中高一貫私立校だ。北海道函館市の東部にあり、鹿児島市にあるラ・サール高校は兄弟校だ。40~60代の働き盛りで、「全国区」ベースで活躍している卒業生が、続々と生まれている。
