猪熊建夫
第35回
徳川御三家の一つ、紀州藩55万5000石の城下町だった和歌山市。和歌山城の南にある桐蔭高校は、中学校を持つ6年制の県立中高一貫校であり、「文」と「武」がうまく融合している伝統校だ。「旧制一中伝統校」というのが、すべての都道府県にある。そこで最初に設立された旧制中学のことだ。東京都の場合は東京府立一中=現都立日比谷高校、大阪府は大阪府立一中=現府立北野高校だ。

第34回
兵庫県立第三神戸中学校として1920年に開校した。神戸市の長田区北方の高台にある。公立高校では兵庫県内屈指の進学校になっている。体育の授業が厳しいことで知られている。ダイエーを創業し「流通革命の旗手」といわれた中内功が、神戸三中・長田高校を代表する卒業生だろう。

第33回
江戸時代には堀田家佐倉藩11万石の城下町で、「南関東の学都」といわれた千葉県佐倉市。その藩校をルーツとして230年の伝統を誇るのが、千葉県立佐倉高校だ。「ミスタープロ野球」と呼ばれる長嶋茂雄は、昭和時代が生んだ国民的スーパースターだ。その長嶋が学んだのが佐倉高校だ。

第32回
明治時代はまるで田舎で、立川村という田園地帯にすぎなかった。東京府はその立川村に1901年、府立第二中学を開校させた。これが、立川高校の前身だ。2022年4月からは、都立高校では唯一の創造理数科がスタートした。

第31回
JR京都駅の南方約5キロの、京都市伏見区にある。京都府内で唯一の国立高校だ。「京都銘柄」と呼ばれる会社の経営者や、気鋭の学者を多数、輩出している。

第30回
日本で最古の学校といわれる足利学校が、国指定史跡として残る足利市。栃木県の南西部にあり、中心部を渡良瀬川が流れる。県立足利高校は男子校だったが、この4月に県立足利女子高校と統合、男女共学になり、新たなスタートをきる。

第29回
大阪府南部の堺市にある男女共学の府立高校だ。前身は高等女学校で、ルーツをさかのぼると校歴は150年近くになる。その伝統を引き継ぎ、文芸などで活躍した知名度の高い女性の卒業生が巣立っている。

第28回
通称は「緑高(りょっこう)」。横浜市の中心部・中区の南側の高台にある。2023年に創立100周年を迎える。港町の気風を映して校風は自由そのもので、多様な人材が巣立っている。

第27回
徳川家康が17年間を過ごし、天下統一の足がかりとした静岡県の浜松。現在では自動車や楽器など、日本有数の商工業都市になっている。そして、「ものづくりのまち」を象徴するような卒業生を多数、送り出している。

第26回
戦後の1951(昭和26)年設立の県立進学校だ。「舞鶴魂」という校是を持つ。「しまれ、がんばれ、ねばれ、おしきれ」だ。その独特な校是を背景に、高いレベルでの文武両道を実践している。今春には、野球部が甲子園に初出場する。

第25回
瀬戸内海に面し西日本最高峰の石鎚山(標高1982メートル)のふもとにある西条市。江戸時代には西条藩3万石が領していた。堀に囲まれた藩陣屋跡に愛媛県立西条高校がある。経済界や文化人あるいはスポーツで活躍した、多様な人物を輩出している。

第24回
「倭(やまと)は国のまほろば(素晴らしい場所)」と古事記、日本書紀にうたわれた。畝傍高校は、その奈良盆地の南東、橿原市にある。故地にあるということでは、日本指折りの由緒ある高校、と言える。今、注目されている卒業生は、自民党衆院議員で、党の政務調査会長を務めている高市早苗だ。

第23回
中京工業地帯の代表的な都市である四日市市。人口は30万人を超え、県庁がある津市を上回る。この地に設立された三重県第二中学を前身とするのが四日市高校だ。三重県でトップの進学校である。

第22回
東京の西郊、おしゃれで粋な街として知られる吉祥寺(武蔵野市)にある私立高校だ。戦前は7年制の旧制高校だった。良家の息子、娘が通う学校として、定評がある。自民党衆院議員で、元首相の安倍晋三が卒業したのが、成蹊高校だ。

第21回
「こうづ」高校という。大阪城の南、大阪市内の真ん中の上町台地に位置する場所に校地がある。卒業生には「いかにも大阪人」という人物が多い。伊藤忠商事の社長から2018年4月に会長兼CEO(最高経営責任者)に就いた岡藤正広(おかふじ・まさひろ)が大阪人の典型だ。

第20回
北海道内で5番目に設立された旧制北海道庁立中学を前身とする。札幌市中央区にある。芸術家、小説家など文化人を多数、輩出させている。全国の高校の中でも珍しい存在だ。

第19回
神奈川県のほぼ中央にあって、東に相模川、西に丹沢を望む厚木市。1902(明治35)年にこの地に県第三中学校として開校したのが、前身だ。硬軟の多様な人材を輩出していることで知られる。活躍中の若手の卒業生から、紹介しよう。

第18回
「銅駝」は「どうだ」と読む。日本で最初の美術学校として1880(明治13)年に創立された京都府画学校をルーツとする。東京芸術大より古い。明治維新で東京に文化の中心が移っても、京都の画家たちは伝統を引き継ぎ、多くの俊英を輩出した。その「京都画壇」のバックボーンになったのが、この京都市立銅駝美術工芸高校(京都市中京区)、略称「美工」だ。

第17回
長野県の市の中で最も南に位置する飯田市。伊那谷を流れる天竜川沿いに街が広がる。長野県立飯田高校は、企業の創業者や自治体の首長を輩出している。

第16回
JR徳島駅の東側に、徳島城跡がある。江戸時代に蜂須賀家徳島藩25万7000石が、居城としていた。旧制徳島高女を前身とする県立城東高校は、その名の通り城跡のすぐ東にある。徳島市内の公立高校で、もっとも人気が高い。
