17歳の女子高生・児嶋アリサはアルバイトの帰り道、「哲学の道」で哲学者・ニーチェと出会い、哲学のことをいろいろ語り合ったのでした。
そしてそれから3日後、アリサのバイト先にまたまたニーチェがやってきました。
ニーチェ、キルケゴール、サルトル、ショーペンハウアー、ハイデガー、ヤスパースなど、哲学の偉人たちがぞくぞくと現代的風貌となって京都に現れ、アリサに、“哲学する“とは何か、を教えていく感動の哲学エンタメ小説『ニーチェが京都にやってきて17歳の私に哲学のこと教えてくれた。』。今回は、先読み版の第7回めです。
「えっ!?どうしたの!?というか、どうしてここに!?」
観光シーズンは一段落したものの、今日もバイト先のお土産物屋さんは賑わいをみせていた。
女将さんによると、アメリカの大手旅行雑誌「TRAVEL+LEISURE」の訪れたい世界の都市ランキングで、京都が一位になったらしく、その効果もあるのか、バックパックを背負った外国人観光客の姿が目立つ。
英語が話せない私は、商品の説明を求められるといつも困ってしまうのだが、「ディス・イズ・ジャパニーズ・ピクルス(お漬物)」「ディス・イズ・ニンジャズ・ウェポン(手裏剣のおもちゃ)」と、中学生レベルの英語を駆使して、どうにかやりきっている。あくまで自己判断だが。
きちんと伝わっているのかはわからないが、説明をすると「COOL!!」「amazing!!」というリアクションは返ってくるので、いまのところぎりぎり大丈夫といった感じである。
今日も、外国人観光客や修学旅行生を相手に、お漬物の説明をしたり、生八つ橋の試食を勧めたり、賑わうお店の中を行ったり来たりしていた。
私は三日前に起こったあの不思議な出会いについて、あれからよく思い返していた。ニーチェと初めて会った日、帰ってすぐにニーチェについてパソコンで調べてみた。
ニーチェは十九世紀のドイツで生まれた哲学者のようであった。裕福な家庭で牧師の父のもとに生まれたようだが、ニーチェが幼い頃に他界してしまい、そこからは、母、妹、伯母と女性ばかりに囲まれて育ったようだ。
ニーチェは若くして大学教授になるなど、才能を大きく買われていたようだが、晩年は気が狂ってしまったかのように奇行を繰り返し、生を終えたようであった。
私の目の前に現れたニーチェと、インターネット上にあったニーチェの写真は別人であったが、どことなく面影があるようにも感じられた。目の前に現れたニーチェは、日本人にしては彫りの深い顔立ちをしていたので、そう感じただけかもしれないが。
そんなことを考えながら私はキャッキャキャッキャとはしゃぎながらお漬物を試食する外国人観光客の顔を眺めていた。
すると、入り口の方から私のことを呼ぶ声が聞こえた。
「児嶋さ~ん、お客さん来てはるえ~」
どうやら女将さんが私を呼んでいるようだ。
「はーい!ちょっと待ってください、いま行きます」
私はバイト着である浴衣の袖をまくり直し、入り口へと向かった。
「児嶋さん、お友達来てはるわ、ほなよろしくね~」
そう言うと女将さんは、ニヤニヤと笑いながら、肘で私をつつき、お店の奥へとひっこんでいった。一体どうしたんだ、誰が来てるんだ?と入り口へ出ると、そこにはニーチェが立っていた。