売上高11億円だったのに
“30億円無担保、保証人なし”借入の奇跡

 廃業相次ぐもやし業界で2桁台の利益率を確保できている要因の1つは、付加価値の高い商品を次々と開発してきたこと。加えて、思い切った投資で生産規模を拡大し、生産から物流までを一貫して手がける体制を整備した点にある。

 なぜ、それが可能になったのかに関しては、ある偶然も関与していた。

――会社の沿革を調べますと、1つの大きなターニングポイントは1990年前後、それまでの「ナカダ産業」から「サラダコスモ」へと社名変更したあたりにあったような気がします。1992年に本社工場、94年に長野県駒ヶ根市に信州第2工場を新設されていますが、この直前に30億円の融資を受けられていますね。当時の規模からいうと、かなり大胆な決断だったように思うのですが。

Photo by T.U.

「30億円の借り入れを決めたのは1989年、私が39歳の時でした。当時、どんな状況だったかと言いますと、私どものもやしは農薬や化学肥料を一切使っていないということで非常に引きが強くなっておりまして、工場をフル稼働しても生産が追いつかないような状態でした。

 工場を新設したかったのですが、当時すでに10億円の借り入れが別にあり、常識的に考えると、そこに新たに30億円の融資を受けるのは困難。そのままでは売上高11億円が限界となるのも目に見えていましたから、なんとかしなければと思いましたが、資金のメドはまったく立っていませんでした。

 そんな時、たまたま名古屋でセミナーがあるから参加しないかと誘われた。名古屋に『伏見』という駅があるのをご存じですか?」

――ええ、知っています。

「その伏見駅近くにあるホテルが会場でした」

 その日、中田氏はいつものようにもやしの配達を済ませてから名古屋へと向かった。そのため、セミナーの開始時刻には、やや遅れてしまっていた。

「地下鉄の改札口を出ると、出口が1番から10番まである。表示もロクに見ないまま、くじ引きするような気持ちでこれだっ、と思って階段を駆け上りました」

 出ると、目の前に日本興業銀行名古屋支店(現みずほ銀行名古屋支店)のビルが建っていた。目指すホテルは2ブロックほど先にある。落ち着いて周りを見回すと、そこは会場のホテルからは一番遠い出口だった。

「『興銀』という文字を眺めましてね、これはなんて読むのかなあ、なんて思っていました。急いでいましたので、その時はそのまま素通りして。昼休みを利用してビルへと戻り、中へ入ってみたんですよ」

 生来の冒険家気質が、ここで顔をのぞかせたのだろうか。

「1階でキョロキョロしていたら、守衛さんが飛んできまして」

――守衛さんが?

「『お客さん、ちょっとこっち来てください』って首根っこ掴まれて、ドアの裏にあった警察の取り調べ室みたいなところへ、いきなり連れていかれちゃったんですよ、これ、ホントの話です(笑)」