先週、とある企業誌に私のインタビューが掲載された。「お互い謙虚に学び合いたい 日本の“ソフトパワー” 中国の“スピード感”」と題するものだった。それを読みながら、中国のビジネス現場で流行っていることわざの変化を思い出した。

 その昔、中国では競争を形容する時に、「大魚喫小魚(大きな魚が小さな魚を食う)」という言葉をよく使った。地方間の競争は、経済規模が大きいほうが有利だと見られていた。しかし、いまは規模よりもスピードだ。そこで生まれた表現が「快魚喫慢魚(動きの速い魚がのろい魚を食う)」だ。このことわざを裏づけするかのような事例がある。

 1978年の改革・開放が始まる前の中国で、中国の主要3都市を取り上げるとしたら、「京津滬」という言葉がすぐに浮かぶ。日本の「京阪神」に似たもので、北京、天津、上海という3つの直轄市だ(編集部注:「滬」は上海の別称)。

 しかし、2008年に日本は中国人観光客への観光ビザの発給に踏み切った。対象は中国で最も豊かとされる3都市、北京、上海、広州だった。天津市は対象に選ばれていない。天津は厳しい競争の前でスピードの遅い「慢魚」となり、動きの速い魚との競争に負け、地盤が大きく沈下してしまったからだ。

 以前、ほかのメディアや講演ですでに取り上げた例だが、ここであえてもう一度取り上げたい。

 渤海湾の形を「U」という文字にたとえるなら、上の2つの端っこに大連港と青島港がある。天津港はその底に位置する。1990年、青島港・大連港・天津港のコンテナ取扱量はそれぞれ13.5万TEU、13.1万TEU、28.6万TEUだった。ちなみに、TEUとは20フィートコンテナに換算したコンテナ取扱個数の計算単位である。しかし2000年になると、その力関係は信じられないほどに変わり、それぞれ211.4万TEU、100.8万TEU、170.8万TEUとなった。青島港が遥かに先頭を走るようになったのである。

 なぜそうなったのか。数年前、私は好奇心に駆られて青島港を取材した。