――木桶の製法が守られた理由は?

「タンクを買うお金がなかったんですよ。協業化しなかったのも出資金がなかったから。しかたなしの木桶でつくっていたんです。昔はうちも混合醤油を作って、広島とか岡山に出していました」

メイン商品の「鶴醤(つるびしお)」と「菊醤」(きくびしお)

 ヤマロク醤油の商品構成は珍しい。基本的には4年~4年半かけてつくられる「鶴醤」という再仕込み醤油と黒大豆を使った濃口醤油の「菊醤」の2種類。後は無添加のポン酢やだし醤油だけと極端に種類が少ない。

「鶴と菊の2種類っておかしいでしょう。普通は鶴ときたら亀だし、松竹梅があって次に菊でしょう。色々あったんですけど面倒くさかったので自分が全部やめたんですよ(笑)。鶴醤は配合比の原価を上げたり、熟成期間を長くしたり……今の味にするまで6年かかりました」

 五代目山本康夫氏ははじめ家業を継ぐ予定はなかったという。大学を出て、家業に入ろうとしたところ父親に「継がなくていい」と止められたという。「醤油屋は儲からないし、給料も払えないから」と。

木桶で仕込まれる醤油

売りに行かず、買いに来てもらう
見学者受け入れで息を吹き返す

 食に関わる仕事がしたかった康夫氏は地元の佃煮メーカーに就職し、大阪や東京で働いた。取引先は大手のスーパーだ。

「スーパーで商談すると商品知識のないバイヤーが値段とボリュームとパッケージデザインの話しかしない。うちも無添加の商品も持っていったけど『高い』しか言われないわけです。このバイヤーに売りに行くのは嫌やなって思ったんです」

 売りに行くのではなく、買いに来てもらうほうがいい。木桶の醤油ならそんな商品になるのでは、と思い至った康夫氏は家業に入る。ところが決算書を見て、青ざめた。

「とんでもなかったですよ。親父が継がんでいいって言った意味がようわかりました」

 そうしているうちに父親が倒れ、醤油づくりが続けられなくなった。状況は最悪だった。一人で仕込むのだからと商品を整理し、鶴醤と菊醤に絞り注力できる体制をつくった。