東京海上日動あんしん生命の「『長生き』に関する意識調査」が、昨年末のネットニュースをほんの少し盛り上げた。調査によると「長生きしたくない」「長生きはリスク」と考える若者が増えているらしい。
この調査自体は「だから保険が大切ですよ」という立場で行なわれたものだろうが、一連の「最近の若者は困ったものだ」という類のニュースに加えてもよいだろう。
古代ヒッタイトやエジプトの文書にも、「近頃の若者はダメだ」と記されているという笑い話がある。その真偽はともかく、文明が発祥して以来、「若者」が常に批判の対象となってきたことは、かつて若者だった人なら実感できるはずだ。60代前半の団塊の世代は、かつて「無気力世代」と呼ばれ、40代半ばから50代にかけての人々は「新人類」と称されていたのだから。
若者批判にもいくつかのパターンがあるが、長期にわたる不況と少子化が進む社会情勢を反映してか、現代の日本では若者の消極性を憂う大人が急増しているようだ。
近年で言えば、まず「草食系男子」。このワードはマイナスの意味で使われることのほうが多く、たいてい「ふがいない」「このままでは少子化が進む」という結論が導き出される。「テレビ離れ」「自動車離れ」に代表される「若者の○○離れ」の使用頻度も高い。低俗なテレビ番組を嘆いていた時代が懐かしくなるほどだ。
何といっても極めつけは、「消費しなくなった若者」だろう。「清貧」「質実剛健」「節約」「エコ(ロジー)」などの見地からすると、むやみに消費しない現代の若者は誉められてしかるべきだ。これが「私はテレビを観ません。車にも興味がありません。むやみにお金を使わず日々を淡々と生きています(60代男性)」なら批判されることはない。せいぜい「枯れるにはまだ早い」と揶揄される程度だろう。
政府としては内需拡大を図りたいのだし、テレビや自動車が基幹産業を支えてきた製品であることを考えれば、「なぜ」消費しない若者が批判の的になるのかは理解できる。しかも「欲しいのに買えない」のではなく、「興味がない」「要らない」というタイプまでいるとくれば、政財界、ひいてはマスコミまでもが不安になるのもわかる。
しかし、冒頭の意識調査からもうかがえるように、年金崩壊、不景気、就職難といった現状では、消費云々以前に、「長生きはリスク」とまで考える若者が増えるのも当たり前だ。「消費しない」「○○離れ」が問題だとしても、その責めを若者だけが負うのはおかしい。「ない袖は振れない」のだし、現状を招いたのは当の若者たちではないのだから。
(工藤 渉)