AV監督になる
前の職業は?

 村西はAV監督になる前にいくつかの職業を経ている。例えば、英語教材セールス。全30巻の英英辞典で価格は20万円、今の貨幣価値なら100万円前後か。

 1970年、村西は月に4セット売れれば営業のトップになれる状況で、少ないときに週5セット、多いときに1週間で20セット売り、日本一になったという。100万円の腕時計をして、必ず5000円のランチを食べた。それもそのはず。大卒初任給が2万5000円の時に最高月収は驚くべきことに150万円だ。

 本書ではトップ営業マンに登り詰めた振る舞いを惜しみなく披露している。「今、眼の前にある烏龍茶を五百円とか千円で売れと言われたら売れる」という話術と街頭セールスで間違ってヤクザに声をかけてしまっても、「右手に拳銃、左手に英語辞書、これがこれからの日本の極道の理想像ではないでしょうか」と開き直れる胆力。詳細は本書を読んでほしいが、村西は日々、イメージトレーニングしていたことを述懐する。

 信号待ちで眼の前にセドリックが止まればいかに売れるかをシミュレーションし、青信号になって横断歩道を渡るときには横断歩道の必要性をいかに説明するか、言語化を試み続けた。英会話セールスマン時代の話など英英辞典など全く必要の無い私まで、「買います」と言いかねない説得力にあふれている。実際、村西は女優の出演交渉や借金取りに拉致されたときも、この話法で瀬戸際をしのぐことになる。

 行動も素早い。「イケる」と思えば、後先考えずに一気に勝負に出る。英語教材で成功を収めつつも、二転三転して、78年に北海道で業務用ゲーム機の設置事業を手がけていた。インベーダーゲームのブームに乗り、1年で3億の現金と、2億の機材を手元に得たが、村西は次なる「金の卵」を見つける。成人向け写真集、いわゆる「ビニ本」だ。ゲーム事業を惜しげも無く売り払い、ビニ本の商売に経営資源を投入する。広告を新聞に打ち、大工を募集して、正味75日で全道に48店舗を開業させる突貫工事で。「ビニ本の帝王」と呼ばれ、市場シェアの7割を握る。