2010年はどのような年になるだろうか?

 それは、2010年度予算案を見るとよくわかる。日本人の経済活動も生活も、その基本は予算によって規定されるからだ。どんな年でも予算はつねに経済と生活の象徴であり鏡であるが、2010年度についてはとりわけそうだ。

 この予算案に対する評価を一言でいえば、「戦略不在」ということだ(*1)。「混迷と矛盾と無責任の寄せ集め」と言ってもよい。

 日本経済が破綻に向かって突き進んでいるのが明らかであるにもかかわらず、基本的なビジネスモデルをどう立て直すかに関して、何のビジョンも示されず、戦略が考えられていない。その結果、予算の内容は支離滅裂になっている。それだけならまだしも、不必要な施策に巨額の浪費的予算手当てがなされた結果(そして他方では税収が激減したため)、前代未聞の財政赤字が発生している(*2)。

 日本経済がいま抱える課題を一言でいえば、「これまで世界を支えてきたアメリカの消費需要が回復せず、また為替レートがかつてのような円安にはならない世界において、日本の産業をどう立て直すか」ということである。これに対する戦略確立が急務であり、そのための手段を早急に予算化すべきだった。それにもかかわらず、予算には、そのための施策が何も示されていない。それだけでなく、以下に述べるように、逆方向としか評価できない施策が示されているのである(*3)。

 日本の大企業も戦略不在だが、国も戦略不在だ。だから、日本は、よくても漂流するだけである。悪ければますます没落する。新年早々の記事にこうした内容を書かなければならないのは、まったく残念なことだ。

*1 「戦略」という言葉については、注釈が必要だ。「2010年の参議院選挙に勝つため」という観点からすれば、民主党の立場からは、たぶん及第点が与えられる。農家に対しては、戸別所得補償を行なった。中学生までの子どもがいる世帯に対しては、「子ども手当て」を創出した。高校生の子がいる世帯に対しては、「高校無料化」を実現した。この大盤振る舞いを見ると、1970年代初めの石油ショック直前に税収が伸びた時代、あるいは、80年代後半のバブル景気で税収が有り余った時代に日本が戻ったのか、と錯覚に陥るほどだ。

 「産業に対する施策がない」と批判する人がいる。しかし、そんなことはない。自動車産業に対しては、自民党政権が導入した購入支援策を延長した。電機産業に対しては、エコポイント制を継続させた。また、雇用調整助成金の条件も緩和して、失業の顕在化を防いでいる。つまり、この面では、「変化」どころか、自民党時代とまったく変わらないことが行なわれているわけだ。

 そして、官僚批判、天下り批判に対しては、「事業仕分け」を公開して、国民の目にこれまでの予算の無駄遣いぶりを暴露した。

 このように、選挙を意識した「目配り」という点から言えば、戦略を意識した予算作りであったのだろう。問題は、これらの政策が、そしてその他の政策も含めた予算全体が、「日本経済の活性化」という観点から見た場合に、どう評価できるかということだ。

*2 2010年度予算に対する批判としてしばしば言われるのは、「国債発行額が巨額になって将来に悪影響が及ぶ」ということである。これは、たしかに、非常に大きな問題である。これについても、論じたいことは多々ある。ただ、今回は、その問題ではなく、経済的な観点からすればまったく意味のない無駄な経費しか見当たらないということを問題としたい。

*3 今回の予算編成こそ、リーマン・ショック後の最初の本格的予算編成であることに注意が必要である。2009年度予算も経済危機が進行するさなかで編成されたが、リーマン・ショックが生じた08年9月にはすでに概算要求は終わっていた。したがって、経済危機に対する対策は、緊急避難的なものとして、補正予算において講じられたのである。今回は、政権発足後3カ月しかなかったとはいえ、それ以前に、野党としての政策検討期間はあったはずである。だから、「時間不足で戦略を考える余裕がなかった」という言い訳は通用しない。