口の中に、程よい甘さが広がる。白餡には、刻んだ栗が散りばめられていた。皮は茶色くつやつや光っている。味は、なかなかいける。しかし……。

「これ、栗まんじゅうとどこが違うんですか?」

 十河商工会長がズバリ指摘すると、メンバーの多くがうなずいた。

さぬき市らしさは、どこに?

 私がコンセプトの確認を兼ねて、「結願(けちがん)を迎えるお遍路さんの喜びは、どのように表現しましたか?」と尋ねると、和菓子屋の店主はこう答えた。「この辺りでは栗が取れるので。あと、寺の境内に転がっている石ころをイメージしたのですが……」。

 栗なら全国どこにでもあるし、どの寺にも石は転がっている。上がり三ヵ寺、お遍路さん、結願などの「さぬき市らしさ」は感じられなかった。本当に、このプロジェクトのために考えたものなのだろうか? 評価シートには、「味は悪くないが、オリジナリティに欠ける」と記入した。

 二人目は、最長老のベテラン事業者だ。商品を見ると、赤茶色の餡が黄土色の薄皮に包まれていた。どうみても、ただの蒸しまんじゅうだった。味見が終わっても、誰も発言しようとしない。コンセプトをどう表現したのか、尋ねることすらためらわれた。

どの試作品も、これまで店先に並べているものと変わらない、単なるまんじゅうだった(撮影:すべて岩城文雄)

 さらに発表は続いたが、どれも似たり寄ったりだった。次第にメンバーの溜息が増え、険悪なムードが漂っていく。とうとう永峰指導員が私に意見を求めた。

「どれも味は悪くないのですが、結願を迎えたお遍路さんの喜びをお菓子で表現するという点で、あと少し工夫があるといいですね」

 言い方に気をつけながら私が答えると、やおら一人が立ち上がった。

「あんたがまんじゅうをつくれと言うから、まんじゅうをつくっただけやないか!」