「もしドラ」現象をドラッカーは予見していたのか?
――ということは、ウィーンでの生活や渡米する前のできごとがドラッカーの人生や世界観に何らかのインパクトを与えたと思いますか。
かなり与えたと思います。「ヨーロッパすべてがドラッカーの形成に貢献した」と言えます。それほどまでにドラッカーが受けた教育は類いまれなものです。
家族は「数学の晩さん会」をときどきやり、著名な数学者を招きました。「心理学の晩さん会」もありました。これはフロイトに関係がありますが、ドラッカーはフロイトの子どもと知り合いです。詩人を呼んで「文学の晩さん会」、音楽家を呼んで、「音楽の晩さん会」をやりました。親がこういうサロンを持っていたため、2人の息子はヨーロッパの文化や学問のすべての面で比類のない教育を受けたのです。
また、ウィーンは当時国際都市で、11ヵ国語の言語が話されていた帝国でした。ドラッカーには、民族中心の考え、つまりこの民族はあの民族より上だというナショナリズムの形跡はまったくありませんでした。
彼の世界はショービニズムの世界からかなり離れていました。生まれたときから寛容な世界だったのです。1つの国に11言語もあれば、寛容にならざるを得ませんが、ドラッカーは多種多様であることに価値を置きました。
――ドラッカーの洞察力はどこから来ていると思いますか。
ドラッカーが受けた教育が源です。彼の父親は政府のトップの役人で、オーストリアのフランツ・ヨーゼフ皇帝から賞を授与されています。母親は医学教育を受けています。医師になろうと思えばなれたでしょう。そういう両親が子供達に類いまれな教育を与えようと決意したのです。つまり、ドラッカーは無類の指導を受けて、知力が豊富になったと言えます。
――日本ではドラッカーの考えを元にして書かれた『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』という本が200万部以上売れています。
本当ですか?! ドラッカーは日本とは非常に特別な関係にありますからね。私が拙著で示したかったのは、彼は予言者であったということです。アメリカでは日本ほど人気が出ませんでしたが、日本では人々はドラッカーの言うことに耳を傾け、彼の非常に幅広い人間的な面に感銘したのだと思います。
拙著によりドラッカーの著書がさらに読みやすくなります。彼の人生を達観するのにお役立て頂ければと思います。
作家。米国の高級紙「アトランティック・マンスリー」のシニア・エディター。ラジオのニュース番組On Pointのアナリスト。ドラッカーの論文の編集にも何度か携わる。主な著書は、『The Rascal King』、『A Miserable Failure』など。
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