ところが日本では、2年ごとに替わる新しい担当官僚が、その都度イチから政策を積み重ねる。審議会ではコンサルタントがデッチ上げたレポートで、その場限りの議論に終始する。出席する御用学者はろくに勉強もしていない。勉強していても、結局は電力会社が細かいところをすべて決めてしまい、世界の最前線とはかけ離れた議論と答申が行われているのが現状だ。

 こうして日本の政策は「賽の河原」状態になる。

政策策定に正面から向き合わない
“政治ショー”が今も続いている

 日本では、自然エネルギーは「高い」「不安定だ」「停電が起こる」といった極めて粗雑で幼稚な議論ばかりが前に出てきた。

 全量買取制度も、「価格を決めたらバカでも儲かるじゃないか」という乱暴な見方をされている。実業を知らない官僚の暴言だ。世界に通用する知識と経験をもとに、全責任を負って自然エネルギー政策に向き合う個人も組織も存在しないのが現状だ。

 全量買取制度の制度設計や運用は、価格を決める経済的要素だけでなく、それ以外のさまざまな部分に左右される。たとえば、送電線との系統連系のルールづくり(系統連系とは、発電設備を送電・配電線に接続して運用すること。物理的な電力のやりとりのほか、電力会社が電力を買い取るか否かの規制や制約を取り決める必要がある)などは、電力会社が嫌だと言ったら、そこで交渉は終わる。5万kWしか買わないと電力会社が決めたら、応募者のなかからくじびきで決める、などといった愚行がまかり通っている。

 なぜ電力会社が一方的なのか。なぜ送電線の問題が生じるのか――。

 日本では、ごく基本的な問題に迫り、正しい政策や制度によって薄皮を剥ぐように丁寧に解決していくという慎重なアプローチがされた試しがない。

 福島原発の事故を機に、そうした風潮が変わることを期待した。しかし、今の霞が関や永田町を見る限り変化はない。このままだと、あっという間に日常に戻ってしまう。

 これは、まさしく政治の責任だ。本質的な問題にメスを入れず、従うべき原則をないがしろにしながら、いまだに「空気」を読んで政治ショーを演じている。大連立や不信任といった政治の混乱に乗じて、この法案を吹き飛ばそうという動きもあると聞く。どこまでも粗雑で度し難い文化である。