中学生になると、浩美さんは激しい拒食で痩せ細り、学校の校医などを通じて入院を勧められるほどの状態になった。さらに「世界がいきなり終わり始めるような雰囲気」を感じたり、寝ようとしたら「寝るな」という声が聞こえたりし始めた。「世界没落妄想」「幻聴」という、明確な精神症状だ。

 拒食や精神症状を心配した学校関係者は介入を試みたが、浩美さんの両親が強硬に抵抗したため、医療につながることはできなかった。中堅進学校の高校に進学した後も、精神症状は悪化するばかりだった。友人や高校教職員が「保健所に相談する」などの“オトナの知恵”を駆使した結果、高校生の浩美さんは精神科で「統合失調症」と診断された。

 しかし両親は「娘を勝手におかしくした」と怒り、通院治療を許さなかった。健康保険証が世帯ごとに一通だけだった時代、親は簡単に子どもを医療から遠ざけることができたし、子どもが“親バレ“しないように医療にアクセスすることも実質的に不可能だった。

リストカットが止まらない
身動きできずに床に転がされて

 浩美さんが初めて精神医療にアクセスできたのは、精神症状や摂食障害に苦しみながら大学の法学部を卒業して就職し、自分の健康保険証を手にした後のことである。浩美さんは23歳になっていた。両親との同居は解消されていなかったが、回復への一歩を歩み始めたはずだった。

 しかし25歳のとき、浩美さんはリストカットが止まらなくなった。両親は初めて浩美さんを伴って精神科病院に行った。浩美さんは、「自分の希望でいつでも退院できる任意入院で、病棟は開放病棟」という説明を受けて入院することにしたが、気がつくと閉鎖病棟に閉じ込められていた。その扱いに傷ついて死のうとすると、鎮静剤を強制的に注射され、閉鎖病棟の中にある保護室に閉じ込められた。

 精神科病院の中にある保護室は、時期や病院のポリシーによって様々だが、浩美さんが経験したのは「何もない部屋に穴を掘っただけのようなトイレ」「冷たい床」「寝具は毛布3枚だけ」「着替えもトイレも、ナースステーションから丸見え」というものだった。注射された鎮静剤の効果で身動きできないまま床に転がされていた浩美さんは、自分で毛布をかぶることもできず、寒さに震えながら監視されていた。寒くて震えている自分の姿を監視している看護師たちが、毛布を掛けに来ることはなかった。