次に、グローバル化する企業行動について。
今、『企業』は静かに、日本という『国家』から離陸し、世界の空へと飛び立とうとしている。その理由として、40%超という懲罰的な日本の法人税を指摘する人もいる。しかし僕は、それは本質ではないと思う。
これらの日本企業は、そもそも「自分たちは日本国の一部である」という認識を持っていない(捨てた)のである(もちろん日本に貢献したいと思っているが)。それがユニクロや楽天の動きである。英語公用語化は、些末な各論にすぎない。
政府や行政、財界という『国家』に属しそこに従事する人々は、そうした企業の認識を本質的に理解していない。「日本企業は日本国のもの」だ、と心のどこかで堅く信じている。彼らは企業の海外移転の動きを察知し、法人税の引き下げなどの対処策を採っているものの、残念ながらこうした企業にすれば引き留めの小細工にしか映らない。
三菱重工と日立の合併の話について様々な課題が挙げられつつも、これが本当なら僕は英断だと思う。なぜなら、今回の合併の本質は、『国家』という縛りから解き放たれ、グローバルに戦う“決意表明”と受け取れるからだ。
繰り返しになるが、もはや「国家」の土台に企業やウェブがあるのではない。三層(レイヤー)は対等ということだ。
その層と層との戦いの象徴的なケースが、Wikileaksのアサンジ氏の事件であった。
WikiLeaksのアサンジ氏の拘束は、個人の刑事・民事事件の問題ではない。情報を暴露された国の安全保障の問題でさえない。アサンジ氏拘束は、『国家』と『個人間の紐帯』というレイヤー(層)間の覇権をめぐる戦いなのだ。
台頭する『紐帯』の脅威を察知した『国家』が互いに連動し、彼らにとって元凶であるアサンジ氏の拘束につながった、という見方が妥当ではないだろうか。