「安易な匿名報道」は
「安易な実名報道」と同様に不健全である
この点について田島氏がもう一つの問題を提起する。
「その意味で、今回の事件は、情報管理者である神奈川県警の情報秘匿の問題が一つ、それと同時に、メディアの報道姿勢についても考えさせる事例です。メディアは警察情報のすべてを発表してよいわけではなく、取材をしたうえで、報道に際してはメディア側に慎重かつ自制的姿勢が求められます」
平成28(2016)年7月26日未明に発生した今回の事件は、植松容疑者が重度の障害者が多い施設に狙いを定めて大量殺害を計画、19人の入居者を殺害したものだ。植松容疑者は「重度障害者が生きていくのは不幸だ。不幸を減らすために犯行を行った。後悔も反省もしていない」などと語り、事実、逮捕された後、報道陣に向かって笑顔を見せている。
残虐かつ異常な事件であるからこそ、とりわけ落ち着いた取材と報道が求められている。まず、家族の話を聞き、何を報道するのかしないのかをきちんと選択することが大事だ。匿名報道にするか否かの選択肢は、そこに初めて出てくる問題であろう。被害者名非公表という究極の匿名は、情報管理者である警察ではなく、メディアと被害者家族が決めることなのだ。
加えて、犯人の植松容疑者が同年2月に措置入院していたことに関しても、どこまで植松容疑者の医療情報を明らかにするのかも問われる。
私たちはメディアにそうした選択を任せられるだろうか。現在のメディアはその点で信頼に値するものだろうか。率直に言って、「まだら模様」だと私は思う。
匿名報道だけを見ても、私は深い不信感をメディアに抱いている。匿名報道は、本来、安易になされてはならないものだ。実名公表で理不尽な被害が生じるときに限られるべきだ。その判断は取材する側が自らのジャーナリスト生命を懸けるほどの覚悟で下すもので、安易な匿名報道もその逆の安易な実名報道も、報道の健全性を損なう。