これからはどんなにゆとり教育・平等教育を受けてきたとしても、学校を出た後は「世界は平等ではない」という前提で生きるべきだ。本当はすでに、目には見えない階層ができている。
もし気づいていないなら自分で気づくべきだし、大人たちもいい加減にそれを肯定すべきだ。ビル・ゲイツも言うように、「人生は公平ではない。若者よ、はやくそれに慣れよ」なのだ。
そのような前提をおいた時に、大事なことは何か?
これまで何度も書いてきたが、「信用の紐帯」と、個々の才能を土台とした「貢献の精神」で社会に貢献していくこと、である。
貢献の精神をもとにした社会への価値提供は、目には見えない個人の信用をつくり、それはやがて貨幣(カネ)という具体的な姿に変わる。またそれ以上に、「才能」を土台とした「貢献」は、人生の意味を「“生存”から“創造”へ」と根本的に変える。
では、社会への価値提供をどうすれば個人としてできるのか?
誰しも自分の好きなことをして食べていきたい。しかし、多くはそれを夢物語だと諦めてしまう。
たとえば、アーティストでは食えない。だからサラリーマンになろう、という風に。
あるいは、自分はその分野では一流になれない、だから就職しようという言い訳のもとに。
だがそれは根本的に間違っている。
「好き」で「食う」は実現できる。