膨大な情報の「誘惑」に流されない

 私たちはつねに気が散っている。この状態が続いていて、うまくいくはずがない。

 とはいえ、すべての非があなたにあるわけではない。

 近年のテクノロジーの発展により、社会には非現実的な要求が生まれた。おびただしい数のメディアがひっきりなしに流す情報の奔流を吸収するのが当然だという風潮が生じたのである。その結果、私たちはつねに「アクセス可能」であることを求められるようになった。

 こうした非現実的な要求に応じようと、私たちは複数のタスクに注意を分散させるようになった。マイクロソフトの元バイスプレジデントで作家・コンサルタントのリンダ・ストーンは、こうした状態を「継続的な注意力の断片化」と呼んでいる。

 つまり、押し寄せる情報の波に、現代人がうわべだけの注意を断片的に向けているにすぎないことを見抜いたのであり、この状況は悪化の一途をたどっている。

 それはまるで、人間一人ひとりを取り巻く宇宙でビッグバンが生じているようなものだ。だから私たちは猛スピードで膨張する宇宙に、とても追いついていけないような気分になっている。「ついていこうともがけばもがくほど、無力感に打ちのめされるんですよ」と嘆く声を、私自身、これまで何度も耳にしてきた。

 こうした過負荷に対処するにはマルチタスクをするしかない――そう誤解している人が多すぎる。マルチタスクに励むのは逆効果だというのに。

 マルチタスクは状況を改善するどころか、むしろ問題を悪化させる。そもそも人間の脳は、一度に複数のことに注意を向けることができないのだ。

 マルチタスクは情報の流れを遮断し、短期記憶へと分断する。そして短期記憶に取り込まれなかったデータは、長期記憶として保存されずに、記憶から抜け落ちていく。だから、マルチタスクを試みると能率が落ちるのだ。

 集中力は低下するいっぽうだ。それはまるで、自分自身が断片化しているようなものだ。同時に私たちは、人に対してますます無礼をはたらいている。ミスをして事故を起こし、その結果に懊悩している。なにをするにせよ能率が悪くなり、自制心を失っている。

 それでも私たちは、マルチタスクをしているような「ふり」をしている。

「ふりをしている」という表現を使ったのには理由がある。先に述べた通り、そもそも「マルチタスク」なるものは存在しないからだ。