いま、「美術史」に注目が集まっている――。社会がグローバル化する中、世界のエリートたちが当然のように身につけている教養に、ようやく日本でも目が向き始めたのだ。10月5日に発売されたばかりの新刊『世界のビジネスエリートが身につける教養「西洋美術史」』においても、グローバルに活躍する企業ユニ・チャーム株式会社の社長高原豪久氏が「美術史を知らずして、世界とは戦えない」とコメントを寄せている。そこで、本書の著者・木村泰司氏に知っておきたい「美術」に関する教養を紹介してもらう。今回は、古代ギリシャの彫像の裏側について解説していく。
古代のオリンピック選手は「裸」で競技をしていた
2004年のアテネ・オリンピック開会式では、ダンサーたちがまるで全裸であるような衣装を着て登場しました。これは古代オリンピックの競技が、ほとんど裸で行われていたことを表しています。古代のギリシャ人は美しい神々と同じ裸で競技をしていたのです。
ここでいう神とは、キリスト教などの絶対的な神と違い、超人的である一方、喜びや怒り、そして愛憎といった人間的な感情を持った個性豊かな神々です。ギリシャ人にとって人間の姿は、この神から授かったものであり、美しい人間の姿は神々が喜ぶものと考えていました。
ここから生まれた「美しい男性の裸は神も喜ばれる」という思想を背景に、「美=善」という信念・価値観があったのです。男として美しくあることは徳を積むことでもあり、立派な人間になるためには外見の美しさも追求する必要があると考えられていました。
それを象徴するように、紀元前6世紀末以降、アテネでは守護神アテナに捧げられたパンアテナイア祭の際に、定期的に美男コンテストが開催されていました。美しいということは神に近づくことであり、また神もそれを喜ぶという考え方が浸透していたことがわかります。「美男=神への捧げもの」という考え方です。「男は顔じゃない」ではなく、美しいか否かが人格までを決めるほど、美しさが重要だったのです。ちなみに、美男コンテストにはシニア部門もあったため、若い男性だけがもてはやされたわけではないことがわかります(ただし、シワは老醜と見なされました)。
もうひとつ、ここまで男性の肉体美が称えられた背景として、当時のギリシャの男性に兵役の義務があったことがあげられます。兵役につくことにより選挙権を得ていたのです。古代ギリシャの都市国家スパルタでは、男子は7歳で家族と離れて兵士として訓練されていました。
つまり、体を鍛えることはギリシャ人男性にとって必須であり、その結果、肉体の優秀性を競い合うことになったのでした。それは哲学者といえども同じで、かの哲学者プラトンの本名はアリストクレスといい、プラトンは「肩幅が広い」というあだ名なのです。こうした背景から、古代ギリシャでは主に男性美を追求したギリシャ彫刻が発展することとなるのでした。
拙著『世界のビジネスエリートが身につける教養「西洋美術史」』では、こうした美術の裏側に隠された欧米の歴史、文化、価値観などについて、約2500年分の美術史を振り返りながら、わかりやすく解説しました。これらを知ることで、これまで以上に美術が楽しめることはもちろん、当時の欧米の歴史や価値観、文化など、グローバルスタンダードの教養も知ることができます。少しでも興味を持っていただいた場合は、ご覧いただけますと幸いです。