いま、「美術史」に注目が集まっている――。社会がグローバル化する中、世界のエリートたちが当然のように身につけている教養に、ようやく日本でも目が向き始めたのだ。10月5日に発売されたばかりの新刊『世界のビジネスエリートが身につける教養「西洋美術史」』においても、グローバルに活躍する企業ユニ・チャーム株式会社の社長高原豪久氏が「美術史を知らずして、世界とは戦えない」とコメントを寄せている。そこで、本書の著者・木村泰司氏に知っておきたい「美術」に関する教養を紹介してもらう。今回は、先日来日を果たした名画「バベルの塔」の裏側を読み解く。
なぜブリューゲルは、バベルの塔を描いたのか?
16世紀を代表する画家に、ピーテル・ブリューゲル(父)がいます。先日、来日を果たした彼の代表作「バベルの塔」からは、当時のネーデルラント(現在のオランダ、ベルギー、ルクセンブルク)の混乱が読み解けます。
ブリューゲルが生きたスペイン領ネーデルラントは、まさに宗教的・政治的に混乱状態でした。政治的にはスペイン派(王党派)と独立派が対立し、宗教的にもカトリックとプロテスタント、そしてユダヤ人もが同じ地域で暮らしている状況でした。そのうえ、プロテスタントにおいてもカルヴァン派、ルター派、再礼拝派などが混在していたのです。さらには、そこで使われた言葉もさまざまであり、こうした多文化社会が多くの対立の原因になっていました。ブリューゲルの描いた「バベルの塔」からは、まさにこの混乱した状況が読み解けるのです。
「バベルの塔」は、元々は旧約聖書が主題であり、人間がさまざまな言語を話すようになった原因が描かれた話です。「ノアの方舟」のノアの曾孫であるニムロド王が、神に対する復讐として再び人類が大洪水に見舞われないよう、神の領域である天まで届く塔を建築しようとします。しかし、人間の不遜や驕りに怒った神により、人間はさまざまな言葉を話すようになり、意思疎通ができなくなった結果、塔の工事は中断されてしまうのです。以後、同じ言葉を話すグループごとに人々は世界各地へと広がっていったという話です。まさに混乱したフランドルの多文化社会を暗示しているようです。
また、ローマに滞在したことがあるブリューゲルは、古代の遺跡コロッセオをこのバベルの塔のモデルにしています。この時代のコロッセオは、古代ローマにおけるキリスト教徒迫害の象徴でした。これには、多数のプロテスタントを厳しく弾圧していた当時の支配者スペインの愚行を戒めるメッセージがあったと見なすこともできます。
このように、ブリューゲルの「バベルの塔」を深く読み解くと、16世紀後半のネーデルラントの政治的および社会的情勢をうかがい知ることができます。キリスト教が中心となった世界で宗教美術やゴシック建築が発達したように、いつの時代の芸術にも、その当時のさまざまな情勢が反映されているものなのです。
拙著『世界のビジネスエリートが身につける教養「西洋美術史」』では、こうした美術の裏側に隠された欧米の歴史、文化、価値観などについて、約2500年分の美術史を振り返りながら、わかりやすく解説しました。これらを知ることで、これまで以上に美術が楽しめることはもちろん、当時の欧米の歴史や価値観、文化など、グローバルスタンダードの教養も知ることができます。少しでも興味を持っていただいた場合は、ご覧いただけますと幸いです。