両極端の中間に無数にある選択肢が顧みられない

 日本でも極端な二者択一を迫られた出来事が起こります。小泉政権で、国民に郵政民営化の信を問うた2005年の衆議院解散総選挙です。

 小泉首相は解散する際、記者会見でこう訴えました。

「郵政民営化について、イエスかノーかを問いたい!」

 本来、選挙というものはさまざまな論点を勘案して投票するものです。

 このときは、郵政民営化だけが焦点となる選挙になってしまいました。しかも「留保」「△」という態度は認められず、イエスかノーかを明確に表明することが求められたのです。

 その結果、郵政民営化にイエスと表明した人は小泉首相が推進する他のすべての政策にも賛同したとみなされ、ノーと表明した人は小泉政権のやることにすべて反対する「抵抗勢力」として扱われました。

 9・11事件後の国際情勢や郵政民営化の総選挙という大きな政治的決断においても、「○×」以外の発想が許されない社会になったと強く感じるようになりました。

 これまで、精神医学の世界ではこうした極端な二者択一の思考は「境界性パーソナリティー障害」の方に見られる特有の症状だと言われてきました。

 私たちはこれを「スプリッティング」と呼んでいます。スプリッティングとは、あたかもボウリングのピンが両端に残ってしまうかのように、両極端な発想しか持てない心のメカニズムを意味します。

 スプリッティングの傾向を持つ方は、人を見ると「大好き」か「大嫌い」という発想しか持てません。大好きと大嫌いの中間にある「まあまあ好き」「どちらかと言うと苦手」などという発想が持てないのです。

 しかも、一人の人物に対しても何かのきっかけで「大好き」から「大嫌い」に突然変わってしまうこともあり、それまで言っていたことはまるでなかったかのようにしてしまう傾向が見られます。