複雑で多様な価値観を持つと生きにくい社会

 従来、極端な二者択一思考は特殊なパーソナリティーを持つ人たちの思考パターンと言われていました。しかし、この傾向が現代社会の多くの側面で多く見られるようになりつつあるような気がしています。

 これは「現代社会が陥った病理」なのか「人間が環境に適応した」なのか。卵が先か鶏が先かはわかりませんが、市場主義の原理とスプリッティングが非常にマッチしているといえるような気がします。

 市場では「売れたものが良いもの、売れないものはダメなもの」という単純な価値観に支配されています。「売れないけれども良いもの」「売れたけれどもダメなもの」という多様な発想が希薄な世界です。

 出版の世界でも、付録が付いているから売れた本があります。以前であれば、そうした商品は本来の出版文化から外れたものとして、作る側に気恥ずかしさがありました。

 しかし、いまやどんなかたちであれ売れれば凄いということになります。逆に、良書でも数百部しか売れなければ失敗という烙印が押されてしまいます。

「売れたものがいいもの」という価値観はわかりやすいです。しかしその一方で、私たちは、複雑で多様な価値観を処理できなくなっているのではないでしょうか。

 現実の社会に存在する「会社では成果をあげていないけれど、人間としてとても魅力的な人」の扱い方がわからないのです。単純化された二者択一思考であれば、「成果をあげていないのだから、ダメな社員だ」という発想は難なく導けます。深く考えなくても答えを出せる楽な思考方法だと言えるでしょう。

 現代では、自己紹介一つとっても単純化が好まれます。複雑で理解に時間がかかる個性を長々と主張しても、周囲からは敬遠されてしまうだけです。

 市場原理が支配する現代は、複雑で多様な価値観を持つ人にとって生きにくい社会になっているのかもしれません。単純化された思考法を持たなければ、生き延びられない社会になってしまったのでしょうか。

 近年、多様性を「個性」として大事にしようという動きは盛んです。企業でも「ダイバーシティ」の名のもとに女性社員などに活躍の場をふやそうという機運が高まっています。性別や年齢、国籍などを問わず、あらゆる多様な人が共存できる社会への理解は進んでいるようです。しかし、多くの人の多様な考え方や微妙な考え方の違いまで認め合う「多様性」については、まだまだ理解されていないようです。