著者も僕も
人間広告塔になりました。

――刊行後の売れ行きは?

飯沼 発売3日後に増刷が決まりました。それまで、著者の伊藤さんは、ネットでもブログやツイッターで多くの人を集めていたというタイプの人ではなく、まったく無名の人だったんです。それが「たちまち!」という感じでした。ネットよりリアルに強いタイプの人だったんです。

 驚いたのが「愛読者はがき」の戻りがべらぼうによかったことです。8万部の売れ行きでしたが、20万部売れたときくらいの「愛読者はがき」の数でした。それだけ読んでくれた人に「刺さった」んだと思います。著者のところにも、読者からメールがいっているのですが、著者はこのメールすべてに返事を書いたそうです。またはがきの中に「人生で初めて単行本を自分で買って読み切りました」という、ほぼ同じコメントの人が7~8人もいました。それだけ、普段本を読まない人にも広がったということで、こういう本は、意義があるなぁとあらためて実感しました。

――他にはどんな読者が?

飯沼 丸善丸の内店で非常に売れたんです。とても高学歴のお客さんが多いので有名な書店ですよね。そこで「バカ」が売れたんです。月30冊以上本を読むような知的好奇心の旺盛な方も読んでくれたのはとてもうれしいです。あとは学生のあいだでも広がったようで、伊藤さんは、東大や慶応大学でも講演されました。おバカが「東大生に講演」ですよ(笑)。こういう本を敬遠しそうな層にも読まれたのはとてもよかったと思いました。

――そういえば、あのカバンはインパクトがあった。

飯沼 「バカバッグ」ですね。あれは著者の伊藤さんの発案です。バカバッグをもって持ち歩いたら、目立つんじゃないか、であれば「人間広告塔になろう!」ということです。あのバックは、刊行後、伊藤さん、それから伊藤さんの会社のスタッフ、それと僕も2か月くらい、ずっと持って外出していました。あれを持って通勤していると電車のなかですっごく見られるんです。だからわざと見えるように持ってました(笑)。あの時期、人間広告塔が、日本に20数人いたことになります。そうとう多くの人が目にしてくれたと思います。

 袋は500部作ったので、いろんな人に渡しました。どのくらいその袋を持ち歩いてくれたかわかりませんが、けっこう、使ってくれたと思うんです。書店員さん、それから取次の人にもお渡ししたのですが「ちゃんと持って通勤したよ」と言ってもらったこともありました。とてもありがたいですよね。

 うちの営業の人も持てるときには持ってもらいました。著者さんの書店回りの際には、著者と僕とそれから営業の女性の3人があのバックを持って書店さんを訪問しました。

『バカでも年収1000万円』(後編)<br />売れたのは、著者の力です。『バカでも年収1000万円』の販促用バッグ、通称「バカバッグ」。街中では目立つことこの上ない。