本から得るのは「役に立つ」教養だけしかないのか
2011年の秋に出版された、若者向けのある自己啓発書が売れ行き好評だそうで、私も読んでみました。
この本は、今後激動する社会を生き抜くためには、武器としての教養を身につけなければならないと力説しています。そして、今後生き残っていくために必要な資質を挙げていますが、それらを好意的に解釈すれば、自己主張ができて想像力もあり、将来を見通す洞察力を備えている人だと考えられます。
しかし、これらの資質を備えた人の特徴をあえてネガティブな言葉で表現すると、「思いつきで動く」「わがままで他人のことを慮らない」「合理性やコストパフォーマンスなど損得だけしか考えていない」となるように読めます。
一方、最も生き残れそうもない人としてこの著者が挙げるのは、スペックがわかってしまう「コモディティ」です。端的に言うと「真面目なサラリーマン」です。
私は、この本の主張に若干の違和感を持ちました。前半を読んだ後では、あたかもこれからの社会に必要な教養とは、「役に立つ知識」であると主張しているように見えてしまったからです。しかし、この本は激動の社会を生き伸びるための指針を切望する読者から受け入れられたのです。
おそらく多くの読者がそう受け取ったように、本から得る教養は人生を切り拓くことにストレートに役立つものでなければならないのでしょうか。人間が生きるうえでの拠り所は、果たして「役に立つか、役に立たないか」という二元論で考えていいのでしょうか。
本から得る教養が役に立たないものであっても、あるいは結果的に何ら教養を得られなかったとしても構わないのではないかと私は思っているのです。