自分が感じた「痛み」を次世代に引き継ぐな

 とはいえ、当時の私の心境はつらかった。
 たったひとりで仕事をして、ウチに帰ってもひとり。食事も自炊。通信手段も高額の固定電話しかなかったので、家族との会話もほとんどすることができませんでした。他の中近東イスラム諸国には外国人居住地区があり、外国人にとって便利な施設が整っていたのですが、当時のトルコにはそんな施設は皆無。たったひとりで、生活文化のまったく異なるトルコ人社会に溶け込むのは、非常に骨の折れることでした。孤独感にもさいなまされたものです。

 もちろん、ブリヂストンがグローバル競争で生き残るためには、誰かが中近東を開拓しなければならない。たまたま、その役目が私にも回ってきただけであって、そのことを恨みがましく思うのは筋違いだとは思いました。

 しかし、アメリカやヨーロッパなどの恵まれた環境に家族とともに赴任していった社員との「格差」を意識せずにはいられませんでした。トルコ駐在中、常に、私の胸には「痛み」があったのです。あるとき、その「痛み」を先輩に漏らしたことがあります。そのときに返ってきたのは、あの言葉でした。「俺はお前よりももっと厳しいことをやらされてきたんだ。このくらい当然だ」。

 たしかに、そうなのです。私より先に中近東に来ていた先輩は、私なんかよりもよほど苦労されていた。だから、私は反論をのみ込んで、「そうですね」と笑顔で返すほかありませんでした。しかし、こうも思いました。つらい思いをしたのなら、次の世代には同じ思いをさせないために改善する努力をすべきではないのか、と。そして、その思いを胸に秘めて働き続けたのです。