だが、指導者がなぜ「謙虚」でなければならないかは、「選挙」のためだけではない。より重要なことは、指導者が国民の「信頼」を失うと、国家が本当の危機に陥った時に、指導力を振るうことができず、「国益」を損ねてしまうからである(第158回)。

 例えば、昨年8月の内閣改造の後に、北朝鮮がミサイル発射実験を行った。「Jアラート」が鳴り響いたので、覚えている人も多いだろう。あの時、小野寺五典防衛相が記者会見を行ったが、例えば防衛相が「南スーダンPKOの日報隠蔽問題」で迷走発言を繰り返し、都議会議員選挙の応援演説で「自衛隊としてもよろしく」と発言して批判を浴びた稲田朋美氏だったら、記者会見を信用できただろうか(第161回)。

「日本を軍国主義に戻したいから、危機を煽ってるんじゃないか」と国民に思われたら、国民は北朝鮮ミサイル開発の深刻さを正しく理解できなくなってしまう。安全保障政策の運用に「抑制的」で、国民から一定の信頼がある小野寺防衛相の記者会見だから、国民は信用して聞けたのである。

 安倍首相に「謙虚さ」がなく、人間性の信頼を失っていることの悪影響は、通常国会でも見られるように思う。首相は、衆院予算委員会で、憲法9条1項と2項を残し、自衛隊を明記する自身の改憲案について「フルスペック(制約のない形)の集団的自衛権の行使は認められないのではないか」と述べた。首相案で改憲しても、安全保障法制の範囲を超えた集団的自衛権の行使は不可能だとの認識を示した。憲法9条2項の戦力不保持の規定を残すことで、集団的自衛権の行使には安保法制で定めた武力行使の「新3要件」(第104回)の制限がかかると主張したのだ。

 これは本来、石破茂・元自民党幹事長らが主張する「憲法9条2項削除案」よりも、穏健で抑制的な改憲案のはずだ。「9条2項削減」は、フルスペックの集団的自衛権の行使を認めるためのものだと石破氏は明言している。しかし、なぜか石破氏よりも安倍首相の主張のほうが過激に聞こえてしまう。

 各種世論調査で、首相の穏健なはずの改憲案への支持は伸びない。「9条3項加憲」を皮切りに、軍国主義の復活を目指しているのではないかという疑念を国民が持ってしまっているからだ。野党が首相の改憲案を徹底的に批判し、安全保障環境の現実に合わせた改憲案として議論が展開されないのは、残念なことである。