リセットされる前の状態を思い出させることができれば一番いいんですが、なかなかそれをするのは難しいと思います。例えば、あるところだけメチル化やアセチル化をもう一度促してやれば、がん状態から別の状態にシフトさせることができる可能性があります。さらに分化を促進してやれば、むやみに増殖するのは抑制されるので、そういった治療の可能性はあると思います。
タレント名鑑からスターを配役するのがエピジェネティクス
――著書で遺伝子を楽譜に喩えておられますが、エピジェネティクスはどう喩えられますか?
もし遺伝子を楽譜に喩えれば、エピジェネティクスは楽譜に書かれている演奏法の記号ですよね。クレッシェンドとかフェルマータとかスラーとか、どう演奏すればいいかということが書いてあるものだと思うんです。あるいはテンポをゆっくりとか、ここはビブラートをきかせるという注釈ですね。
そういった注釈は、それぞれの指揮者とかオーケストラによって違うので、演奏する人たちが書き込むものです。だから楽譜が親から子に渡される時は、書き込みは一度消しゴムで消して、まっさらの形で、あなたはどういうふうに演奏してもいいですよって手渡されると考えられていました。しかし、部分的に注釈も一緒に手渡されているのがエピジェネティクスだと思うんです。
遺伝子とは何かというと、楽譜みたいなものだというのは、アナロジーとしてはいいと思うんです。音符はドの音だとかレの音だとか、非常に明確ですよね。遺伝子も四つのAGCTという記号であるということに関しては、それ以上ないぐらいに明確です。音楽は演奏されると、時間の関数としてこの音が鳴っている間に次の音が鳴りはじめ、音と音とのつながりができて始めてメロディーが生まれます。下のパートと上のパートみたいな音の共鳴や倍音によって関連が生まれ、メロディーとして私たちに作用するわけです。だから遺伝子もそういう意味の関係性を持ちながら演奏されるとする捉え方が一つあると思います。
もう一つは、遺伝子はある意味タレント名鑑みたいなもので、顔写真とその人の経歴が載っているものであるとも考えられます。でも、それを見ただけではどんな役者がいるかということだけしかわからない。その役者がどういうドラマをどう演じるかはわからないわけです。そのタレント名鑑みたいなものがDNAで、それが受け渡しされているわけです。でも誰がどういうふう役を振り分けられているのかはわからなかったんです。エピジェネティクスはその役の振り分け方みたいなものだと捉えることも、できると思うんです。
役の振り分けがどれぐらい台本として書かれているかを、今、みんなが一生懸命エピジェネティクスとして調べようとしています。おそらくそれは取扱説明書みたいに、それを読めばすべての役者の働き方が時間の順番に決められているものではないと思うんです。
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