ビル・エヴァンスは、1929年ニュー・ジャージー州に生まれました。両親と兄の影響で幼少の頃から、音楽に親しみます。6歳でピアノ、7歳でヴァイオリン、12歳でフルートを習います。ピアノが抜群に上手く神童ぶりを発揮。近所の人々は敬意を込め“フィンガーズ”とか、“88鍵”と呼んでいたといいます。長じて、ニューオリンズにあるサウス・イースタン・ルイジアナ・カレッジに入学。ジャズの故郷ニューオリンズでの音楽活動と、バッハからラベルに至る古典音楽の勉強がエヴァンスを鍛え上げます。

マイルスとの出会い

 ところが、1951年6月、朝鮮戦争勃発とともに徴兵され、エヴァンスは3年間にわたって軍楽隊でフルートなどを吹く生活の中で、麻薬に嵌ってしまいます。除隊後、ニューヨークに出て、ジャズのピアニストを職業とします。瞬く間に頭角を現し、26歳の頃には初リーダー作を世に問います。その後、マイルス・デイビスが若きエヴァンスの才能を認め、常任ピアニストとして雇います。しかし、エヴァンスの麻薬の問題は抜き差しならぬところに来ていました。白人故の逆差別もあったようで、結局、エヴァンスは、半年でマイルス楽団をクビになります。

 それでも、マイルスは、エヴァンスのピアノが忘れられません。新しいジャズを創るのには、エヴァンス独特の響きが不可欠だとして、再びエヴァンスを召集し、1日限りの共演が録音されます(1959年3月22日)。それがジャズ史に残る金字塔「カインド・オブ・ブルー」です(写真)。エヴァンスの弾くピアノは、それまでのジャズが経験したことのない音楽空間を生み出しました。和音に付随した音階の壁を打破し、より自由な音を生むモード奏法がここから始まったのです。