また、親が亡くなり介護が終わると、それまで毎週のように自宅に通ってきていた人たちは、潮が引くようにパタッと来なくなります。あわただしかった介護中がウソのように、たったひとりで取り残されることになります。
そして、誰とも話さないで閉じこもっていると、「本当にあれでよかったのだろうか……」と後悔ばかりが思い浮かんできます。多くの方が、ぽっかり空いた心の隙間を埋められずに悩んでいるのです。
プロですら、自分の親の介護は難しい
でも、こういうときに仕事があればどうでしょう。少なくとも働いている間は気を紛らわせることができます。仕事を辞めずに続けていれば、亡くなったあとの落ち込みも比較的小さいし、早く立ち直ることができます。
孤独の中で悲しみを抱え込まないためにも、介護で仕事を辞めてはいけないのです。
いざ自分が介護する番になったとき、まじめな人ほど「自分でなんとかしなきゃ!」と思いがちです。しかし、自信満々に言うことではないかもしれませんが、私のような介護のプロですら、自分の親が介護状態になったときに「できない」と思ってしまいます。
もちろんプロですから、利用者さんがどんな状態であったとしても精神的に追い込まれることはそうそうありません。しかし、その相手が自分の親になったら……。相当つらいし、自分でやることがいいことだとは思えません。
介護が必要な親や配偶者と向き合うのは、子どもとして、パートナーとして、とてもつらいことです。元気だったときの姿を知っているからです。かつての状態といまの状態とを比べてしまうからこそ、その落差に苦しんでしまうのです。
しかも自分だけで介護をしようと思うと、その負担から仕事を辞めざるを得なくなり、経済的な安定も失いかねません。手もとのお金が心細くなれば、余計に介護を人に頼みにくくなります。
たとえば、訪問入浴1回あたりの負担は1500円くらい。本当は週3日来てほしいと思っていても、お金に余裕がないと、それが週2日になり、週1日になり……ということになっていきます。そうなれば、親の身体が汚れて便まみれになってしまったときであっても、全部自分できれいにするしかありません。相手が自分の親なら、私はできないです。
面倒を見る人が自分しかいなければ、風邪も引けないし、足をくじいて痛めたとしても、親の介護が優先なので治療にも行けません。自分が医者に行く暇さえなくなるでしょう。こうして親と一緒に自宅に引きこもり、社会と隔絶された状況でストレスをためてしまうと……、ふとした拍子に大声をあげ、最悪の場合、手をあげてしまうかもしれません。
プロでさえ無理だと思うのですから、みなさんができないと思うのも当然です。それを恥じる必要はありません。決して自分ひとりでやろうと思わず、地域包括支援センターやケアマネージャーなどを頼りながら、チームで介護をしていきましょう。介護は「やり方」よりも、「頼り方」と「任せ方」が大切なのです。
1980年生まれ。上智大学文学部社会福祉学科卒業。老人ホーム紹介事業、外資系コンサル会社、在宅・施設介護職員を経て、2008年に市民団体「となりのかいご」設立。2014年に「となりのかいご」をNPO法人化、代表理事に就任。ミッションは「家族を大切に思い一生懸命介護するからこそ虐待してしまうプロセスを断ち切る」こと。年間講演回数は40回、個別相談数は80件を超え、顧問先は現在6社。「NHKラジオ深夜便」、「ワイドスクランブル」(テレ朝)、「教訓のススメ」(フジテレビ)などに介護の専門家として出演実績あり。誰もが自然に家族の介護に向かうことができる社会の実現を目指し日々奮闘中。