ある日突然、親が倒れて寝たきりになったら――。多くのビジネスパーソンにとって、考えたくない状況だろう。だが「そのとき」は確実にやって来る、しかも突然に、だ。いざというとき慌てないために、今からどんなことを心得ておくべきか。自らも介護地獄を経験し、1月24日に新著『親の介護をはじめたらお金の話で泣き見てばかり』(ダイヤモンド社)を上梓する教育・介護アドバイザーの鳥居りんこ氏が、詳しく解説する。
身を削った母の介護で
感じた「恩」と「怨」
2017年春、筆者は「10年超」に及ぶ両親の介護を終えたばかりだ。それはまさに、身を削るような壮絶な経験だった。
介護はその期間が誰にも読めず、何年、あるいは何十年の戦いになるのかは神のみぞ知る、ということになる。しかも悲しいことに、親の体のあらゆるパーツが徐々に修復不能な状態になっていき、もはや改善はしないのだという事実を認めざるを得ない日が来るのである。
その終結は「親の死」という永遠の別れでしかない。
そんな報われない状況がわかっていても、多くの子は体が不自由になった親を必死に介護する。そこに利害などない。あるのは、自分を生んでくれた親に少しでも長く生きてほしい、苦労して自分を育ててくれた親の面倒を見てあげたい、という純然たる「恩」の気持ちである。
ところが、介護生活が長期に渡るにつれ、子にとってのそれは、己の生活を限りなく浸食してしまう「負担」と感じられがちになる。それが徐々に「怨」の気持ちを生むのである。
このように介護生活は、親への「恩」と「怨」という「2 ON」の間で揺れ動く。その気持ちの綱引きの中で出てくる答えは、「罪悪感」である。親への恩義に報いようとすればするほどに陥る怨みの感情に、子の「罪悪感」は刺激され、心が千々に乱れていく。
何ともやり切れない話ではあるが、これが筆者の経験した「介護」の現実なのである。
自分の人生と直接向き合う数少ない機会とも言える、老親の介護。それはある日突然、始まる。あの丈夫で元気だった親に突然、異変が起こり始めるのだ。