他人の偏見、先入観を打ち砕く喜び

 両親は、僕にスポーツを奨励していました。

 サッカーや野球が得意でしたが、なかでもバスケットボールがいちばん上手でした。

 バスケットボールをドリブルしたり、パスしたりするのは、両手の指がないと容易なことではありません。それでも、僕は独自のやり方を見つけ、うまくできるようになったのです。

 上手になるカギは、何よりもまず練習することでした。そして、上手になるように自分を駆り立てることでした。

 僕は自分自身と闘い、最終的に、スポーツから勉強まで、すべての分野において非常に競争心旺盛な子になりました。

 大好きなスポーツの中でも、バスケットボールは一番でした。バスケットボールは僕の生きがいでした。

 僕が試合に出てプレーを始めると、みんなショックを受けたような顔になり、それが愉快でなりませんでした。

 彼らは、突然、指のない子が驚くようなスピードでドリブルし、他の選手の間をジグザグにすりぬけて素晴らしいパスをしたり、空中高く跳んでシュートするのを目撃するのです!

 他人の偏見や先入観を粉々に砕くことが、試合のいちばんの楽しみでした。

 もはや自分に限界があるとは思っていませんでしたし、他人の狭い考え方を打ち破りたいと考えていたのです。

 10歳になった頃、僕は地域リーグでポイントガード(プレーを組み立て攻撃を指揮するガード)をしていました。それは重要なポジションで、たとえばポイントガードの選手には、マジック・ジョンソンがいます。

バスケットの試合で、今まさに攻撃をしかけようと構えている(タイムズ・ピカユーン紙提供)

 僕たちは、地域のトーナメントに参加し、リーグ内最強のチームと戦うことになりました。

 相手チームのポイントガードは、ルイジアナ南東部の同世代グループのスター選手の一人。僕の両手に指がないのを見たせいだと思いますが、彼は僕を翻弄できると考え、実際、しばらくの間そうしたのです。

 第1クォーターは、一方的な負けでした。僕たちのチームは20点もリードされてしまったのです。

 第2クォーターでコートに立った僕は、大逆転を決心していました。

 試合が始まるやいなや、敵は猛烈に攻撃してきましたが、僕は敵のポイントガードとがっちり向かい合い、接着剤のように彼から離れませんでした。

 すると、とうとう彼が、ボールを落としたのです!

 ハーフタイムの頃には、同点にまで追いつきました。

 ゲームの山場にさしかかった瞬間、敵のチームのポイントガードと僕は小競り合いになりました。ボールを奪い合い、観客席にまで転がり込んだのです。

 おかげで二人とも退場にはなりましたが、相手のポイントガードがいなくなったので、僕のチームはゴールへと殺到し、接戦となりました。

 結局、わずか2点差で負けてしまったものの、僕は仲間の尊敬を勝ち取りました。自分の持ち場で一歩も引かず、できる限り頑張ったのです。

 その試合から数日後、新聞社から電話をもらいました。