セクシーに見せることに
夢中になる少女たちの危機
少女に対して、思春期を飛ばし、10歳から18歳に一夜で成長せよなどという社会的圧力がかけられている現状は、私を困惑させるものだ。
ちょうど少年たちが、自分を過度に男らしく見せようとやっきになっているように、少女たちは、自分を少年の目から見て性的に魅力的な存在にすることに夢中になっている。そしてこの早すぎる性的行動は、子どもがそれに感情的、心理的、身体的に対処できるようになる前から始まっている。
ティーンエージャーの性的な関心は、常に社会にとって挑戦的なテーマであり、すべての世代が、そのときのティーンエージャーがあまりに早く成長していると批判するようだ。1914年、教育学の教授クラーク・ヘザリントンは、わいせつな内容を含む映画や、暴露的な記事を掲載する雑誌の蔓延を非難し、「私たちの文明は、強引な性的刺激を若者たちに与え、彼らをそれに浸してしまっている」と訴えた。
私はティーンエージャーが性的な行動に走るのを目にして、倫理観の崩壊が起きていると主張しているわけではない。サイバー効果を考えると、この問題には新しい階層が加わりつつあると指摘しているのである。
発達上のリスクを脇に置いたとしても、アイデンティティと自己概念の形成という観点から、オンライン上に画像がずっと残ることには問題がある。挑発的な自撮り写真は、仲間に見せることを目的として撮影されるが、実際の状況はもっとやっかいだ。それは若いティーンエージャーに対して、性的な関心を向ける大人や犯罪者たちの関心を引き付けてしまうのである。
彼らの画像はハッキングされたり、ソーシャルメディアから盗まれたりして集められ、ポルノサイトに掲載される。そうしたサイトに自分の画像が載っていて、わいせつなコメントが投稿されているのを、若いティーンエージャーが発見し、トラウマを抱えてしまうケースもある。
現代社会において、若者が早い段階から性的な行動を始めてしまうことの是非を論じるのとは別に、犯罪に巻き込まれるという現実的なリスクが存在しているのである。