いずれにしても、国家予算を差配できるのは財務省だけであり、そこに財務省の絶対的な権力の源泉があることに間違いはない。おごりと怠慢により、内部は瓦解し始めているが、そもそもの潜在能力が高いのは衆目の一致するところだろう。

 この嵐の中、次官代行を務める矢野康治官房長は、「セクハラ対応」こそ若干しくじったとはいえ、歴代の官房長官相手にそつなく仕事をこなした能力をいかんなく発揮し、しっかりと任務をこなすだろう。

 矢野官房長は昭和60年入省。手薄になってきているとはいえ、他省と比較すれば、まだまだ重厚な布陣が敷ける程度に人材がいる期だ。彼らは20年前の“冬の時代”をまっただ中で経験し、高い政治力も持っている。

 しかも、時流を見る能力にも長けている。彼らは、すでに安倍政権の終焉を見越し、その布石を打っていることだろう。そして、そう遠くない将来、再び「最強官庁」の名をほしいままにするだろう。

官僚が地盤沈下で
普通のサラリーマンになる日

 しかし、霞が関全体が地盤沈下し、その力の衰えが明確になった今、霞が関の最強官庁に戻ったところで、かつての権限や栄華を取り戻すことはできないと思われる。というのも、権力が政治家や官僚に集中する時代は終わりつつあり、官僚たちが国家を牽引する時代ではなくなってきているからだ。

 そういう意味で、「官僚」はその他多くの職業の一つという扱いになるだろう。もう、この流れは覆せない。人材の劣化がモラルの低下を招き、官僚が普通のサラリーマンになっていくのだ。

 となると、大蔵・財務官僚が栄華を誇った時代の残り香を嗅いでいるエリート幹部たちが財務省を去るまでの10年間が勝負である。果たしてプライド高き彼らが「来るべき時代」に耐えられるだろうか。耐えられなかったその時こそ、本当の意味で財務省は劣化し、解体の危機を迎えるだろう。