「火の九紫」に見る
未来の預言者「藤沢武夫」の燃えるパワー

 藤沢武夫さんは、1910年11月10日生まれ。「9code」は「火の九紫」です。
 本田技研工業を語るときに、よく耳にする言葉があります。
「技術の本田(宗一郎)、経営の藤沢」です。

 社長は本田さんですが、実質的に会社を切り盛りしていたのは藤沢さんでした。

 この言葉は、二人の性質を実によく表わしたもので、技術者としての本田さんの力を思う存分引き出すために、藤沢さんは販売の分野でその能力を発揮し、本田さんとの二人三脚で本田技研工業を「世界のホンダ」へと導いたのです。

 藤沢さんは「火の九紫」らしく、先を観る目が鋭敏で、ビジネスについても何事も情熱的でした。

 決断も早いし、これと決めたら、ずっと燃え続けるパワーをその生きざまに感じます。
 藤沢さんが本田さんと初めて出会ったのは1949年8月。
「東京に出て本格的なオートバイをつくりたいが金がない」
 という本田さんと、
「夢のある技術を持った男と組んでモノを売りたい」
 という藤沢さんが出会って意気投合。

 その年の10月には本田さんの会社に入りました。
 藤沢さん38歳の時です。それも経営していた製材業を一気に整理しての合流です。

「私はあの人の話を聞いていると、未来について、はかりしれないものがつぎつぎに出てくる。それを実行に移してゆくレールを敷く役目を果たせば、本田の夢はそれに乗って行くだろう、そう思ったのです」(本田宗一郎著『夢を力に~私の履歴書~』(日経ビジネス文庫)

 藤沢さんの炎っぷりはその後も続きます。
 会社の資本金が6000万円の時代に、工作機械の購入など4億5000万円のもの投資を実現させたり、新しい販売網の構築を行ったりしていました。
 来たるべき“大量生産大量販売”時代を見越しての布石を着々と打つさまは、未来の予言者と表現してもおかしくはありません。
 まさしく「火の九紫」の本領を発揮した人だと思います。