相生(そうしょう)の関係が生んだ
世界のホンダの伝説
「風の四緑」の本田さんと「火の九紫」の藤沢さん。
陰陽五行で言えば、本田さん(四緑は「木性」)が藤沢さん(九紫は「火性」)を活かす相生(そうしょう)の関係で相性はいいです。
本田さんが「木」をくべて、藤澤さんの「火」が大いに「燃えあがる」。そして逆もまたありき、というように、それぞれのエネルギーが刺激し合い、世界のホンダへの道を突き進んでいったわけです。
たとえば、1954年に発表された本田さんの「マン島TTレース出場宣言(当時世界最高峰のオートバイレース)」は、藤沢さんが本田さんの意をくみ、書き上げたと言われています。
当時としては遥か彼方の海外との技術力の差を縮めるべく挑むレース。
本田さんは、若い技術者とともに果敢に挑戦し続けていきます。
その後、自動車レースの最高峰「F1」への挑戦へとつながっていきます。
これは、すなわちホンダスピリットの創造です。
藤沢さんは「火の九紫」ならではのインスピレーション(=発想・アイデア)と情熱で本田さんを支え、刺激し合い、会社を引っ張っていったのです。
こんな情熱的な二人三脚の人生を歩んだ2人に共通するのは、「いい世の中をつくる」という大きな念(おも)いだったのではないかと思います。
戦後すぐのどん底の日本の姿を見ていたからこそ、この強い念いが2人のエネルギーを引き出し、最強のパートナーとして名を残すことになったのではないでしょうか。
藤沢さんは1964年に副社長に就任し、「9code」がワンサイクルした1973年に副社長を退任。同じく退任した本田社長とともに第一線を退きました。
風も火も止まるときはピタッと止まる。
お二人とも、引き際は、伝説にもなっているほどの見事な“爽やかっぷり”でした。
信和義塾大學校創設者兼塾長、経営コンサルタント
早稲田大学商学部卒業。 ノースウェスタン大学ケロッグ経営大学院ブランディング実践講座エグゼグティブコースを修める。ハーバードビジネススクールでは経営学を学ぶ(いずれも短期集中型の経営者クラス)。1992年、地球サミットに国連認定ジャーナリストとして参加したことを契機に環境ジャーナリストとして活動。1997年の地球温暖化防止京都会議を機に、株式会社エコライフ研究所設立。環境ジャーナリストとしての取材・分析力と経営コンサルタントとしての提案力をベースに、800社以上を環境ビジネスに参入させ成果を挙げる。その傍ら、住宅、環境を軸にした本を多数出版(本書が30冊目)。講演依頼も多く、国内外で2000回以上の実績。2005年、教育研修会社の株式会社ゴクーを設立。1万人のサンプリングを体系化した『9code(ナインコード)』をもとに、信和義塾大學校で指導にあたるほか、企業や各種組織で『9code』を利用したコンサルティングや人材活用研修も多い。現在、信和義塾大學校は、世界6ヵ国20都市以上にあり、塾生は700名超。