「風の四緑」の平等精神を持つ
本田宗一郎の人間力
本田宗一郎さんは、1906(明治39)年11月17日生まれ。「9code」は「風の四緑」です(すべての人が生年月日で9タイプに分かれる判定法は本書にあります)。
颯爽と時代を走り抜けた時代の寵児のイメージにぴったりです。
そして「風の四緑」の誰の心のすき間にも入れる柔軟な気質は、好き嫌いなく人づき合いができ、親しみやすい人柄が広く信頼を集めます。
この「風の四緑」の特性は、本田さんの生き方に如実に表れています。
本田さんは従業員から「おやじ」と尊敬と親しみを込めて呼ばれ、1948年に本田技研工業を設立してから1973年に引退するまでの長きにわたり、社長として、技術屋として従業員を引っ張ってきました。
これができたのは、単にそのカリスマ性というよりは「この人のためなら」という、人間的魅力が抜群にあったからだと思います。
たとえば、こんなエピソードがあります。
本田技研工業の創業時期はまだ戦後間もない景気らしい景気もない時期。
そんな頃の本田さんの「おやじ」らしいエピソードです。
ある日、本田さんの奥様、さち夫人が、
「お父さん(*本田さんのこと)が家にお金を入れてくれないから貸してちょうだい」
と事務所にやってきました。
「おやじさんにしてみれば、従業員の給料のほうが優先なんだ。女房子どもなんかあと回し。そういう人だったんですよ」
とは河島喜好さん(本田技研工業2代目社長)の回想です。
また、「風の四緑」が持つ「平等」の精神も本田さんは持っていました。
「私は会社経営の根本は平等にあると思う。上役、下役の差別扱いもよくないし、エコヒイキにも気をつけねばならぬ」(本田宗一郎著『夢を力に~私の履歴書~』(日経ビジネス文庫)
本田さんにとって従業員は苦労を共にする家族であり、信頼のおける息子たちなのです。
だから身内以上に大事にしました。
人々の心が風になびくように本田さんに集まっていくのもわかる気がします。
自分の身内を経営者にしない「ホンダ」の気風は、本田さんのこの信念から生まれ、今もなお脈々と受け継がれています。
「おやじ」と一緒に夢に向かって颯爽と風のように走っていく。そしてどんな困難があっても常に挑戦していく。止まっちゃいけない!
「世界のホンダ」の根底に流れる企業精神は、本田さんの気性にある「風」なのです。