存在価値を問われ「川上から川下まで」手をつけ出した商社
総合商社では、さきほどの「ラーメンからミサイルまで」とともに、「川上から川下まで」という表現がよくなされる。
ここで言う「川上」とは資源や技術、生産などの「供給」側を指し、「川下」はそれらの資源・技術・生産の供給を最終的に購入する「需要」側を指す。
商社は、長らくこの「川上」と「川下」をつなぐ「川中」の存在であった。物流、あるいは金融などの役割で需要と供給をつなげており、「ラーメンからミサイルまで」の様々な川の「川中」として存在価値を発揮し、そこでの「中間搾取」で利益をあげていた。
しかし、1980年代の「商社不要論」の時代、そしてインターネット時代が到来し、その存在価値そのものに疑問符がつくようになると、商社は自ら「川上」と「川下」に手をつけるようになるのである。
すなわち、原材料の調達から製品・サービスが顧客に届くまでを、価値の連鎖=バリューチェーンとして捉え、川上、川中、川下でそれぞれ利益をあげるようになっただけではなく、これ全体を構築するオーガナイザー機能を自らの「存在価値」=バリュー・プロポジションとして位置づけし直したのである。
総合商社は「川上」に対しては、まずは投資という形で関与を始める。最初は、1980年代中盤からメーカーまたは海外の現地パートナーが主体となるプロジェクトに少数株主として参加する形であったが、積極的に海外の資源・技術・生産などへ投資を行うようになってくる。