リクルート常務取締役、角川書店(現:KADOKAWA)代表取締役社長、ジュピターテレコム代表取締役副社長を経て、今ではベンチャー投資もされている福田峰夫さんに、リクルートの成長過程やネット事業に着手した経緯、複数の会社での役員を経てお感じになった「経営」と「オペレーション」の違いについて伺うインタビューの第3回(全3回)
(ライター:福田滉平)
リクルートも悩んだ「紙からネットへ」の転換
(株)オフィスM代表取締役
早稲田大学教育学部卒業。1975年に(株)日本リクルートセンター(現(株)リクルートに入社。1999年、同社常務取締役に就任。同社が立ち上げたネットサービス「ISIZE(イサイズ)」を役員として担当。2002年、(株)角川書店代表取締役社長、2003年(株)角川ホールディングス専務取締役兼COOに就任後、2006年には(株)ジュピターテレコム代表取締役副社長に就任。スタンフォード大学客員研究員を経て、2018年、慶応義塾大学大学院経営管理研究科修士課程を修了予定。
朝倉祐介(シニフィアン共同代表。以下、朝倉):福田さんはリクルートでネット事業を立ちあげられましたよね。当時、リクルートがインターネットに取り組んだのは、どういった経緯からだったのでしょうか?
福田峰夫氏(以下、福田):私は、リクルートが1999年に「ISIZE(イサイズ)」というネットサービスを立ち上げた時の担当役員でしたが、「ISIZE」の前身は、「MixJuice(ミックスジュース)」というホームページです。
リクルートは回線事業やリモートコンピューティング事業を立ち上げた時に、多くの優秀な理工系の人たちが入ってくれるようになりました。ある年は、東大の理工系学生の就職先では、リクルートが一番多かった時があったほどです。
そうしたエンジニアの人たちを中心に研究の一環として、MixJuiceという、今でいう検索機能のないヤフーのようなポータルサイトを作ったんです。
その後、「インターネット」サービスが社会にも浸透し始めた時に、MixJuiceを本格的にメディア化して、作ったのがISIZEです。リクルートは就職、住宅、結婚など、人々の生活に関わる領域の情報誌を幅広く展開しているので、そのフィールドで、独自のポジションを取っていくことを狙っていました。その時、僕は電子メディア事業部の役員でした。