研究者もエンジニアもコミュニケーション能力を磨くべし
ちきりん 自分と立場の違う人と巧くコミュニケーションするためにはどうすればいいのか、それを探る能力が足りないということですね。
竹内 そういう能力が足りないですよね。役人も、民間も、大学も。相手にとっていちばんの利益は何かを理解できないと、絶対、Win・Winの関係にならないじゃないですか。そこの発想力の問題ですよね。
ちきりん 日本のように、あうんの呼吸で済む世界で生活をしていると、コミュニケーションに気を遣わなくても済みますよね。ところが、アメリカだと、すごく勝手の違う人たち、価値観の違う人達と一緒に仕事をすることも多いから、この人にはどう言えば伝わるかな?ということを常に考えていないといけない。そういう意味では、言語によるコミュニケーションという点において、彼らは常にトレーニングされているんですよね。
竹内 その通りだと思います。それだけでなく、相手に何かをやってもらおうと思ったら、お土産をもっていかないと何も進みません。役人には何をすれば彼らが喜ぶ「お土産」となるのか、民間人なら何をすれば喜ぶのか、そういうことを相手の立場になって考えられるのが大事なんです。ところが、エンジニアは「あうんの世界」で生きているところがあって、その能力がなかなか身につかないですよね。
企業の中で、そんなエンジニアを守ってあげているのが、実は文系の人たちの役割です。大企業のエンジニアは、そういうコミュニケーションを知らなくても文系の人がフォローしてくれているので、仕事に打ち込め、ラクなんです。オタクの世界に没頭して生きていける。その意味では、アメリカの企業で生きていくほうがエンジニアにとっても厳しいのじゃないでしょうか。
ちきりん 日本で博士号を取った人って、アメリカで博士号を取った人に比べて、あまりに社会的評価が低いような気がします。アメリカだと、「ドクター」というだけで尊敬されるのに、日本だと、ヘタをすると「ドクターか、使えない奴だ」という印象さえあります。これも、コミュニケーションの部分でソンしている例かなと思いますけど。
竹内 「使えない奴」と思われるかどうかは、分野によると思いますよ。電気・電子のドクターなら「使える奴」で、就職も大丈夫ですよ。やり手の先生は企業と共同研究をしているから、博士課程の学生でも企業の30代バリバリの優秀な社員と対等に渡り合ったりする場をもてるんです。工学系のドクターは大丈夫ですよ。
これが理学系になると、ちきりんさんが指摘されたようにひょっとしたら「使えない奴」になってしまうかもしれません。私はもともと物理出身だからわかるんですが、理学系のドクターは、研究内容と企業の仕事がかけ離れている。大学の研究をそのまま企業で続けたいと思ったら、就職は厳しい。