五輪はハコモノ公共事業と一緒
好景気は完成までしか持たない

 こういう話を聞くと、「ブラジルはもともと景気が悪かった、なんでもかんでも五輪のせいにするのは暴論だ」と口を尖らせる人がいるので、断っておくと、筆者も五輪がすべて悪いなどと言いたいわけではない。

 五輪が国家の威信を世界に示し、国民には夢と希望を与えるのは紛れもない事実だ。が、それと引き換えに、「不況のトリガー」にもなり得ると申し上げているのだ。

 1988年の韓国・ソウル、1992年のスペイン・バルセロナ、2000年のオーストラリア・シドニー、2004年のギリシャ・アテネ、2008年の中国・北京、そして2016年のリオなど、過去の開催地を見れば、五輪後に成長率が悪化している国が圧倒的に多いのは紛れもない事実だ。日本人の多くが、「日本成功物語」の中で必ず誇らしげに語る1964年の東京五輪でさえ、翌年には不況が訪れている。

 また、2024年大会の開催地レースで、ローマ、ハンブルグ、ブタベストという大都市が相次いで辞退をしたことからも分かるように、世界的には「五輪」というのは、市民に重い負担を強いる「金食いイベント」というのが常識となっている。

 これは冷静に考えれば当たり前だ。いくらIOC(国際オリンピック委員会)に大企業のスポンサーがつこうとも、開催地にとっては、税金を投入した「公共事業」以外の何ものでもない。

 日本中にできたハコモノ公共事業を見てもわかるように、地域が潤うのは建設までで、出来上がってしまえば、毎年膨大な維持費を垂れ流す「負の遺産」となって、市民を苦しめる。五輪も同様で、開催までは企業の投資や市民の消費は促進されるが、そのバブルは五輪開催とともにジ・エンド、というのは中学生でも分かる。

「いや、だからそうならないようにレガシーとして有効活用してだな」と五輪関係者は熱弁を振るうが、事実としてこれまで、ほとんどうまくいった試しがない。