確かに1787年のフィラデルフィア会議で制定された米国憲法は政府と議会などの徹底した相互抑制機能を規定している。独立当時は、絶対王政花盛りの欧州から逃れてきた人が多かったためとも言われるが、徴税から通商交渉まで議会の権能は幅広い。

 党議拘束がないので仮に同じ党派が上下両院で多数を占めても法案や政府高官の人事案が認められる保証はどこにもない。一方で、大統領も法案に署名しない拒否権を発動することで議会に対抗できる。

マケイン議員の“楽観”外れる
トランプ登場で変化

 先日亡くなったジョン・マケイン議員はベトナム戦争の英雄として国民に人気があり、上院共和党の重鎮として大統領候補にもなった政治家だ。

 そのマケイン議員が2016年夏にニューヨーク・タイムズの取材でこう話していた。ちょうど大統領選挙の予備選が終わり、トランプ氏が共和党の大統領候補に決まる直前だ。

「トランプ氏が大統領になっても、この国が危機に瀕することはない。私たちには議会があり最高裁がある。所与の権限を越えようとする者を抑制する政治体制がある」

 おそらくマケイン氏は米国大統領制のチェック・アンド・バランスが機能すれば、トランプ氏とて勝手なふるまいはできないと言いたかったのだろう。

 90代のスカリア判事も、2000年代のリッチー氏も、2年前のマケイン氏も、米国憲法がもたらす伝統的な価値観=厳格な三権分立が機能することを信じていたし、それが民主主義の核心だと確信していた。その前提で仕事をするのが米国大統領の“presidency”だと信じていたのだ。

 しかし、トランプ時代になって何かが変わりつつあるように見える。

「皇帝大統領制」という言葉を意識するかどうかは別にして、現在の米国の政治体制がその方向に流れていることは間違いないだろう。

 上院では慣習上「フィリバスター」という議事妨害が認められている。

 これは議員がどれだけ長く演説をしても構わないというルールだ。憲法を朗読したり歌を歌ったりしてもOK。この議事妨害をやめさせるには100人の上院議員のうち60人の同意が必要だ。

 戦前の映画『スミス都に行く』では同僚の悪事を暴くため、若手の上院議員がぶっ続けで演説して倒れるというのが、クライマックスのシーンだった。昔から上院議員に認められた手段で、これも三権分立の歴史の中で定着してきた慣習だった。

 しかし、2000年代に入るころからこのフィリバスターを止められる票数を60票から50票に下げようという動きが顕在化し、今年4月の最高裁判事承認の採決ではついに議事妨害が封じられた。

「最高裁判事の人事に議事妨害を使えない」ということになったわけだ。