言行不一致の人
「言っていることではなく
やっていることが
その人の正体」
その通りです。済みませんでした、と思わず謝ってしまうようなお言葉です。
前回に続いて、東京の妙円寺さんからの投稿です。「ときどきは自分自身を見つめてみたいものです」とコメントされていました。
久田恵さんは遅咲きのノンフィクション作家です。『フィリッピーナを愛した男たち』(文春文庫)で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞したときには40歳を超えていました。シングルマザーとして息子を育てながら、お母さんやお父さんの介護にも直面。人生の中の苦労の連続が人を見る鋭い目を養っていったのでしょう。
仏さまの教えはよく「鏡」に例えられます。日蓮の遺文にあたる『開目抄(かいもくしょう)』の中に、「仏法の鏡は過去の業因を現ず」という言葉があります。日蓮は『法華経』という鏡に自分の姿を照らしてみて、このような言葉を残されました。
また、中国の善導という浄土教の僧侶も『観経疏(かんぎょうしょ)』という書物の中で「お経は鏡のようなものである」と記されています。つまり、お経(仏さまの教え)は鏡の働きをして、自らの正体を容赦なくあぶりだすものでもあるのです。
わたしたちは人の悪いところはよく見えますが、自分の悪いところはなかなか見えません。人の非を責めるが、自分の非は責めない。それによって、自分の「言っていること」と「やっていること」がどんどん乖離していきます。言行不一致。それは周囲からの信用を失う原因にもなります。
自分の姿を正確に見るためには「鏡」が必要となります。仏教という「鏡」によって、「自分の正体」をよく見てみましょう。
今日のお前は今日つくるんだよ
次の標語も妙円寺さんのものです。
「過去は過去 今日のお前は今日つくるんだよ」
こちらの言葉は、漫画「バガボンド」288話に出てくるセリフです。剣を奪って、佐々木小次郎になりすましている男に、お寺の和尚さんが諭したものです。
いままで言行が一致しない自分であったとしても、それを改めるのはまさに今日です。過去は過去。いまはいまです。仏教を鏡にして、今日の新しい自分をつくりあげましょう。
(解説/浄土真宗本願寺派僧侶 江田智昭)