>>(上)より続く

 Bさんが用事でAさんに電話をかけた際、応答したAさんは聞かれていないのに「今子どもが膝の上にいます」と話したそうである。「ここにAさんのポーズが表れている」とBさんは指摘する。

「Aさんはまだわかっていない。本当に子どもがかわいくて仕方がなくなったらわざわざそんなことを言って子煩悩をアピールする必要はなくなる。アピールしたということは、Aさんがまだ子どもへの愛に溺れきっていない証拠」(Bさん)

 Aさんの「子どもかわいい」発言への疑念が払拭できていない筆者はBさんのこの説を聞いて「ほら見ろ!」と快哉を叫んだが、実際Bさんが正しいかは当然わからない。勝手に筆者とBさんが疑いのまなざしを向けているだけで、Aさんがすでに真に子どもを愛していることは十二分にあり得る。

 さて、Bさんは普段それと漏らさないが、今回の取材でかなりの子煩悩であることがわかった。事務職だがガテン系の雰囲気をまとった男性であり、帰宅した彼が仏頂面で子どもに骨抜きにされているであろう様を想像するのは趣き深い。いや、子どもの前では仏頂面などせず相好を崩しているのだろうか。

「娘を初めて本気でかわいいと思えるようになったのは2歳…いや、1歳くらいかな…。

 こちらを『親として認識して、信頼している』ことが娘から伝わるようになってきて、『この愛おしい存在はなんなのだ』と“パパ”と呼ばれるわけではないのだけど信頼されているのがわかる。

 もっともあれくらいの赤ちゃんは『親を信頼しない』という選択肢がないからこちらが信頼されるのは当たり前で、それを自覚して『しっかりしなくちゃ!』という気持ちが新たになったというか。

 とにかく子どもがそれくらいかわいく思えるようになると、特に外にアピールしなくてももう自己完結できる。『とりあえず子どもがかわいいからもうなんでもいい』みたいな」